2012年05月18日

つま先転身その2

以前、“つま先転身”について書いた。2008年11月の記事だ。
(※2008/11/26『つま先転身』参照)
最近この記事についてメールやコメントをいただいて、改めて自分の記事を読み返したので、少し補足がてら続きを書こう。

まず、この記事を書いたときにわざと書かなかったことが幾つかある。
まー要するに隠していたわけなのだが…。。(^_^;)

このブログを始めてしばらくの間は、師匠への配慮もあって、あまり大っぴらに書くのははばかっていた。
書き過ぎず、なるべく初・中級者の参考になる内容を、模索しつつ、師匠の顔色も伺いつつ、書いていたわけだ。
また、隠すほどのことでなくても、
「何でもかんでも不特定多数の他人に教えてやることはあるまい」
とか、
「書くともっと長くなる」
とかの理由で書かない場合もあったが。。<エラそうでスンマセンが…(^^;ゞ(笑)
…で、それを今回はもう少し書くことにしよう。。

では順を追って。。

つま先転身を教わった当時、金鷹拳を併習していたわけなのだが、金鷹拳では元から基本的につま先側を使う。
改めて一応説明しておくが、一般的に中国拳法の型では、例えば前進などの際は、前足の踵を軸につま先側の方向を30〜45度ほど開き、歩を進めて弓歩を完成させる、というように動く。
後方に向き直るときも、前足を、踵を軸に大きく内側に捻り、体の向きを変えて今度は前足となる足を置き直して、弓歩になる、というように、だ。
空手も同じで、この歩法は型を行う武術では基本として一般的だろう。
それを金鷹拳では、ハナからつま先側を軸にして動くわけだ。
「これからは太極拳でもこれにするから」
と言われたときは、ちょっと戸惑ったものの、まー、どちらかに統一しておいた方がいいのだろうな、という程度に思っていた。
ちなみに以前の記事で、ネット上でこのつま先転身について書いていた人(ひとまずHNは伏せておく)は、
『“拇趾球(ぼしきゅう)”を軸にする』
とのことだったが、それはウチも同じである。
拇趾球という名称は、実は近年まで知らなかったのだが、教わった際は、
「足の親指の付け根の丸いあたり」
というようには説明されたと思う。
(もしかしたら拇趾球とも聞いていたのに忘れてしまっていたのかも知れないが…)
つま先側によるスタンスの調整は、教わった当時も、
『太極拳にもあるし、他の武術にもある』
とのことだったが、僕は、少なくともウチでは、金鷹拳との統一(整合)を図る上でそうしているのだと思っていた。
また、「太極拳にもある」というのは、部分的にあるとか、もしくは違うやり方としてあるということなのかな?…と想像していた。
しかしまぁ、考えてみれば普段の生活や自然な歩行ではつま先側を使うのが普通だ。
歩くときは踵側から付けた足をつま先側で地面を蹴って歩いているのだし、振り返るときはつま先側でクルッと向き直ったりする。
踵を軸にした歩法やスタンスの調整というのは、あくまでも基本修得のためだろう。
じゃあ、他の武術にもあるというのは、表面上踵軸で、あとでつま先軸を教わるということなのかな?…などとも思っていた。

今の理解で言えば、たぶん伝承上の違い、指導上の都合や方針の違いで、踵軸で演武する派はずっとそのままだろうし、つま先軸の派もそうだろう。
また、段階的に、あるいはテーマ別に、使い分ける派はそうするのだろう。
…と、思う。
まぁ踵軸が現実的でないからと言って、戦うときまでそうするわけじゃないし、演武上のことは、今ではどっちでもいい気がしている。
ただつま先側の使い方やスタンスはとても大事なので、そのことは理解しておかなければならないし、普段から癖をつけておかなければならない。

で、そのつま先側の使い方についてだが、ちょっとお教えしよう。

拇趾球で回るとは言っても、何も拇趾球の一点のみを軸にして回るわけではない。
そのときの重心、体重のかかり方などによって、拇趾球から中指の付け根あたりまでをしっかりつけた感じで地面を踏みしめるように回ったりもする。
(※前述の人の流儀はともかく、少なくともウチでは)
その際にもう一つ大事なのは、“鶏足”だ。
鶏足はたぶん、今では割とよく知られている拳訣の一つだと思うのだが、何故今まで触れなかったのかと言うと、僕が若い頃に交流したことがある他派の人には、これを知らなかったり、別の意味として教わっていたりすることがあったからだ。
そして僕自身、昔のこととは言え鶏足を教わったのは太極拳の型を一通り覚えてしばらくしてからだったので、不特定多数相手にこんなところで書くのはどうかとも思っていた。。

…ま、それはともかく、続けよう。

鶏足とは、足の指を、地面を掴むようにして立つことだ。
鶏がそのようにして立つように。
靴を履いている場合でも、鶏足を行う。<本当に地面を掴むわけではないので(笑)
例えば、太極拳をやっている人は、推手を思い出して欲しい。
(同系の派の人なら、立円単推手とか)
バランスを崩しそうになったとき、思わず踏ん張るが、その際は誰でも足の指を曲げて踏ん張っていることだろう。
だから、そのように、最初から足の指を曲げて、踏ん張ったカタチを作っておけば、多少なりとも強い、というわけだ。
誰もが無意識に自然にやっていることなのだが、それを意識的に行うことで補強されるという発想にはなかなか至らない。
武術ではこういったことがコツとなっていたりする。
攻撃の際も、これができていれば、知らないでただ立っているだけの人よりは足が安定して威力が増す。
(※当然ながら股から下の足全体に力を入れて力むのではない…)

で、つま先転身においては、この鶏足を維持しながら、拇趾球や拇趾球側を使い、踏みしめるような感じで回るわけだ。

ちなみに、太極拳の中にもあるって話だが、まーウチでは型をこれで行うことにしているわけだが、例えば五つの歩法(五歩?五法?…何だったか忘れた…(^^;ゞ)として説明されている中にもある。
それと、復帰してからS先生に聞いた話だが、つま先側を使うのは、日本でも古流剣術や古武術には普通にあるそうだ。

あと、運足についてもやり方があるのだが、それは省かせてもらう。
何もかもここで教えてあげるわけにはいかんので。。(^◇^;)

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2012年03月29日

記事タイトル一覧(2011〜2012年)

◆2011年
打撃訣
太極拳の型や用法は使えるのか
太極拳における“力”と“使える技”
マジックの世界
殴り方の一つも
王樹金系流派・団体についての噂

◆2012年
一般的な型との違いについて
闘争の術
流儀や伝承の様々
当流の太極拳
しんどい外功鍛錬(筋トレ)
本来あるべき姿の太極拳
拳の握り方

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※当ブログ内記事に関するまとめリンクです。
※お知らせ等の記事については、必要なもの以外は除外しています。
※抜けを発見された方は、この記事へのコメントまたはメール等でお知らせいただければ幸いです。

なお、このブログは、2007年1月から2009年12月まで(書き込み自体は2010年1月まで)で一旦休止状態となり、そこから約1年半を置いて、2011年6月より再開しています。

記事タイトル一覧(2007-2009)はコチラ☆

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2012年03月22日

拳の握り方

アクセス解析の検索ワード(GoogleYahoo!でどんな言葉を入力してこのブログにやって来たか)で、ちょっと前、
「拳の握り方」
というワードが、やたら目についた。
以前から例えば「カンフーレディ」「崩拳」「站椿」などは、コンスタントに多かったのだが、これについては集中的だったので、もしかしたらリクエストかな?、とも思ってしまった(笑)
まー偶然とは思うけれど、せっかくなのでちょっと書いてみよう。
(※もし記事で扱って欲しいテーマや質問その他があれば、メールをもらえればなるべく前向きに対応します)

では本題。

“拳の握り方”と言えば、初歩の初歩と思うかも知れないが、実はそうとも言えない。
ひとまず初心段階のことから書こう。

まず図−1「空手の正拳」を見てもらいたい。
<<図−1>>
空手の正拳.jpg
正拳を正面から見た図。
赤マルで囲んだところは、一般に“拳頭”と呼ばれる部位だ。
説明するまでも無いと思うが、正拳突きにおいては、人差し指と中指の付け根(第一関節)の突起部を使って当てる。
何故「空手の正拳」としたのかというと、中国拳法では派によって違うようだからだ。
僕が学んだ流派では、当てる拳頭の部位は、基本的に空手と同じなのだが、中国拳法の入門書やネット上の解説にある写真、また、動画サイトでの映像などを見ても、特に最近は、薬指・小指の側で突いているものが多く見受けられる(※ほとんどの場合は縦拳において。中指も含めた3本の突起を使っている派もあるようだ)。

何故、正拳において人差し指・中指の側を使うのかというと、手の構造上、例えば物を掴むときや握るときに、主導的な役割をするのは親指、人差し指、中指の3本であり、薬指、小指は補助であるからだ。
つまり、前者3本の方が後者2本に比べて、太く、力が強く、構造的にも強度的にもしっかりと安定した固い握りができるのだ。
故に拳頭も、人差し指・中指の突起部の方が固く、鍛えるのにも適している。
また空手の場合、基本的には親指以外の四指を丁寧に折り畳んで、人差し指と中指を固定するように親指でしっかりと押さえ、全体的に固く握る、というように教えると思う。
指導者によって、小指側の締めを重視する人も居れば、しない人も居るようだ。

ついでに柔術の握り方にも触れておこう。
割と広まっている握り方に、図−2「柔術の握り方例」のようなものがある。
<<図−2>>
柔術の握り方例.jpg
曲げた親指の上に、折り畳んだ人差し指と中指を乗せ、親指の先を薬指と小指でくるんで固定したかたちだ。
しかしながら、これは嘘だと思う。
この握りを初めて知ったのは、小学生か中学生の頃に何かの本でだったと思うが、さすがに子供心にも疑問に思った。
何故なら咄嗟に握りにくいし、こんな握りで突いたら親指を痛めてしまいそうだからだ。
同様におかしいと思った握りに、親指を四指の内側に深く入れた握りがある。
図−2の握りから、人差し指と中指も親指の上に被せてくるんだかたちになる。
これなら咄嗟にでも握れるが、拳頭での打突よりも人差し指と中指の第二関節での打突を目的としている感じだし、やはり親指を痛めてしまいそうだ。
但し親指の先だけを内にくるむのなら解らなくもない。
柔術で標的にされやすい親指を保護しつつ拳頭での打突も可能だろうから。

また、図−2の握りについては後年、島津兼治さんの柳生心眼流の本(『甲胄拳法柳生心眼流』日東書院・刊)にも書かれてあって、ちょっと驚いた。
(ちなみに島津さんの心眼流の本、紀伊国屋書店のデータベースで見たら1979年発刊とあったけど、そんなに古かったっけ? 僕が見たのはもっと後で、たぶん1980年代後半だったと思うけどなぁ…)
で、T先生のところに入門して、柔術を習うようになってから、この握りについて質問した覚えがあるのだが、僕の記憶では確か、
「うーん。あれはなぁ…あの握りは無いと思うけどなぁ。少なくとも僕はああいう握りは教えてもらってへんからなぁ」
というような答えだったと思う。
先生も20代前半の頃だし、あまりご存知なかっただろうとは思うが。。
T先生と再会後にも話題に出したことがあったが、そのときには「あれは嘘だろう」とおっしゃっていた。
また、僕が心眼流で最初に習った握りは、手の内に余裕を持たせて軽く握る握り方だった。
しかしそれよりも心眼流には、初心者には教えないが“○○の拳”という握りがあって(一応、秘伝の部類になるのかな…)、それが正式な拳の握り方ということになるのだと思う。
さらについでに、図−2のような握り方は、ある先生に言わせれば、
「あんな握りではまともに打突ができないから(初心者に)教えるんです」
とのことだ。
つまり、幾ら思い切り突かせたところで危なくないから、という意味のようだ。

本筋に戻ろう。。

図−3「拳頭の当て方について」を見てもらいたい。
<<図−3>>
拳頭の当て方について.jpg
a図は特に意識せず真っ直ぐに出した状態。素人の人が普通に出した状態だ。
b図は空手や、同じくこの拳頭を使う拳法での出し方。<当流はこれ。
c図は薬指・小指側で当てる場合の出し方だ。
b、c図で、ちょっと赤線の引き方が悪い気もするが、要は、腕の骨から打突に使う部位までを真っ直ぐにすることが肝要だ。
例えばb図では、腕から拳頭までが真っ直ぐになるように、この図で言えば手首から先がやや右に傾いている。c図はその逆だ。
また、図にし忘れたが、上向きに反ってはいけない。
例えば右手の正拳で言えば、手首より先が上向きに反っていると、拳頭よりも第二関節で突いてしまうし、手首が安定せず、突いた際の衝撃で指や手首を痛めてしまう。
つまり上腕の外側(「気をつけ」の姿勢での外側)は、腕から拳頭までが平らになるようにしておかなければならない。
これらは形意拳のような“縦拳”の場合でも同じだ。
形意拳の場合も、肘から先は、上記のような要領のまま縦拳になるわけだ。
ただ、縦拳の場合、c図のように薬指・小指側で当てる出し方をよく見かけるのだけれども(他派の太極拳や形意拳など)、僕は疑問に思っている。
そういう場合の当て方は、大抵、いわゆる「卵を握っているように」というふわりとした握り方からインパクトの瞬間に小指側を強く押し当てる感じだと思うが、移動距離の長い拳撃(ストレートパンチとか)には向いていないと思えるからだ。

それぞれについて、もう少し説明を足そう。
まずa図のように素人が出す出し方の場合(この図では一見安定してそうに見えてしまうのだが…)、大抵は、手首が安定しておらず、握りも甘くて、指や手首を痛めてしまいやすい。
そこでb図のような正拳式だ。
先述のように、親指、人差し指、中指の側を主とすることで固い握りを実現している。
また、しっかり握ることで手首も安定する。
しかし欠点もある。
まず基本通りにしっかり折り畳んだ握り方は、実際には素早く握りにくいため、実戦ではそれよりやや甘い握りになってしまうだろう。
そういうときに手首が甘くなって、痛めてしまうことがある。
また、初心者は、しっかりした握りをすることで指や手首を痛めにくいわけだが、反面、力みやすくなる。
なので、上級の握りは、固く握れて、力まず腕を速く振れる握り方となっている。
さっき触れた心眼流の握りもそうだ。
そして、c図のような薬指・小指側による当て方(空手や少林拳のような横拳ではあまり見ないと思うが)は、手首から先を傾ける正拳よりも腕から拳(この場合、薬指・小指側の)までを真っ直ぐにしやすい。
中国式に言えば「勁が通りやすい」ということになるのだろう。
しかし僕は(あくまでも個人的にだが)、これも嘘じゃないかと思っている。
薬指・小指側は、今回述べた理屈から言えば、手の構造上、他の三指側に比べれば脆いし、固い物に当たった場合には痛めてしまう可能性が大きい。
また、力が通りやすいのかどうかも疑問だ。<これについては詳しく書かないが…。

で、ウチではどんな握り方をするのかについて書こう。
但し上級の握りについては書けないので、あくまでも基本の範囲で。

当てる部位が正拳と同じであることはすでに書いた。
但し空手のように丁寧に折り畳んだ握り方ではなく、手の内に余裕を持たせて、その上で、拳頭側をしっかり握る。
小指側の締めは重視しない。
ただ、軽く握るのも使い分ける。
ミット打ちなどをする場合は、軽い握りのまま当てた方がしっくり来る。
もちろん手首がぶれないように腕から拳頭までを真っ直ぐにするというのは前述の通りだ。
つまり、しっかりと握ってはいないが、拳頭が正しく当たり、インパクトの瞬間には自然と力が入る、といった感じだ。
ちなみに僕自身、喧嘩の経験で言えば、拳を意識してしっかり握ったことは、たぶん一度も無い。
大抵軽い握りのまま当てていたように記憶している。
まー、まだあまり知らなかった若い頃の話だけれど。。
その後に習った握り方や打ち方で人を殴ったことは無いので、それについては何とも言えない。
後で習ったやり方の方が効くことは確かだと思うが、実戦で使えるかどうかは、やはりそういう経験をしてみないとわからない。
そしてさすがに年齢も上がって、怖さもあるし(色んな意味で)、そういう機会はもう無いかも知れない。
当然、無い方がいいとも思っているし(笑)

で、僕を信じて、ウチのやり方をやってみるなら、簡単な訓練法をお教えしよう。
但しこれは、習ったのではなくて、自身の工夫によるものだ。
それは、“拳立て伏せ”だ。
と言っても、一応のコツがある。
軽い握りのまま、拳頭を床に付けて、両腕の幅は広めに取る。
腕の力に自信がない人は、足はつま先ではなく膝をついてやればいい。
また、腕の曲げ伸ばしも最初は浅めでいい。
両腕を広く取るのは、上腕二頭筋(いわゆる力こぶの部位)ではなく、負荷を肩や胸や背中に効かせるためだ。
ご存知の人も多いと思うが、上腕二頭筋は、拳法にはあまり必要ないと言われている。
…が、非力でいいわけではない。
なので、肩や背中や胸を意識しつつ、ついでに腕も鍛えようという心持ちで。
(但しこの場合、上腕三頭筋(上腕二頭筋の裏側)により効くはずだ)
だが主役は、拳であり、手首だ。
手首が弱い人が、拳をしっかり握らないままで、腕から拳頭までを真っ直ぐに出来ていないと、自重だけでもくいっと手首を捻ってしまいそうになる。
なので、そうならないよう、拳立て伏せをしている間、拳頭と手首をキープして、肩から拳頭までの力の伝わりやバランスを意識して、やってみて欲しい。
床につけている拳頭も、まったく鍛えたことが無い人は、体重が軽い人はともかく適正体重以上なら最初はきつく感じるだろう。
やってみて、拳にせよ手首にせよ腕にせよ、きついと感じる人は、とりあえず膝をついた状態での深い曲げ伸ばしを、ひとまず20〜30回できることを目標に頑張ってもらいたい。
それくらいが普通に出来れば、素手でミット打ちをしても拳や手首を痛めることは無いと思う。

…しかしまー。。
拳の握り方だけでこんなにも長文になってしまった。。
けれど書かなかったこともまだある。
それはおいそれとは書けないが、知ってみれば「なぁ〜んだ」かも知れないものの、素人に教えてもそれだけで威力が増すような握り方と言える。
だからと言って、今回書いたようなことだけでも、ちゃんとできるようになれば充分だと思う。

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2012年03月08日

本来あるべき姿の太極拳

今回は、今までに僕が見聞きしたことからの、あくまでも推測や想像での話だ。
必ずしも的を射ているとは限らないのだが、個人的にはこう考えている、ということなので、予め断っておく。

二十数年前、“とある拳法”の外功鍛錬を、太極拳の練功法としてやり始めた頃、T先生からこういう話を聞かされた。
X先生が交流のある台湾の先生のどなたかから聞いた話らしい。
それによると、
大抵どの流派でも門下生には、今の中国武術の現状と変わりなく、
「力は必要ない」
と言って、やはり型を中心に教えるとのことだ。
しかし、きちんとした鍛錬法が伝わっている流派なら、内弟子などには特別な練功法を教えて鍛えておく。
手合わせを申し込んでくる者があった場合など、相手をするのはそういう本当の鍛錬を積んだ鍛えられた弟子だそうだ。
だから、ほとんどの門下生は細い体やぶよぶよの体だったりするが、古参の弟子にはがっしりした体つきの者が必ず居る、とのことだった。
この話を聞いたときは、
「なるほど」
という思いと、
「取って付けたような話だ」
という思いが入り交じっていた。
何故なら、型を中心にした稽古でも、やりようによってはそれなりにしんどいし、数をこなしていればある程度は筋肉質になるからだ。
実際、その当時、僕を含めた古株の兄弟弟子は皆、やや細身か平均的な体つきだったが、4人共それなりに筋肉質だった。
また、
「南派拳の話じゃないのか?」
とも思った。
太極拳の足りないところを南派拳式に改変して行おうとしているんじゃないかと。
ただそれでも、太極拳の特徴とされるような戦い方をどうやれば出来るようになるのかわからなかったし、まだ中途半端な僕には、
「この先に何があるんだろう?」
という興味もあり、ただ言われるままにやるしか無かった。

ところで、太極拳の歴史やら背景やら、勁論や技に関係ある思想云々も含めて、松田隆智さんの著書や中国武術雑誌に書かれていたことを熱心に読んだ時代もあったのだが、今ではあまり詳しく憶えていない。
まぁ…当然、自流に関係あることは解っているつもりだが、僕が習ったことは必ずしも過去に読んだそれらと一致するわけではないし、今では、本などに小難しく書かれてあることの大半は、当たり前のことをこねくり回したこじつけ理論のようなものだと思っている。
それはともかく。
諸々、ひとまずうろ覚えのことも思い出しつつ書いてみよう。
但し僕が人から聞いた話なども織り交ぜて書くので、読む人がそれぞれのリテラシーにおいて感じ取ってもらいたい。

松田さんの昔の本では、確か、太極拳の源流と言われる陳家溝に伝わっていた武術は、元々は少林拳のようなきびきびした拳法で、それが陳家太極拳の原型だと書かれてあったように記憶している。
また、陳一族に伝わっていた拳法は、太極拳という名が普及する前は“十三勢長拳”と呼ばれていたとも書かれてあったと思う。
人から聞いた話では、陳家溝に伝わっていた武術は、上記のものと、今の太極拳に近いような動きの拳法との二系統あって、それが楊家派以降の太極拳になったという説もあるそうだ。
しかし一般的には、楊家派の創始者である楊露禅(1799−1872)が陳家溝で陳家太極拳を学んで、子や孫の代を経て今のようなゆっくりとした柔らかい動きのものになったと言われている。
ちなみに「太極拳」という名称は楊家派以降のもので、後に陳式のものも太極拳を名乗るようになったそうだが、その辺の詳しいことは知らない。
それはさておき、太極拳に限らず形意拳も八卦掌も、それ以外の内家拳と言われるものも、どこか体操や踊りのようで、少林拳や南派拳に比べれば力強さに欠けるように見える。
ある老師によると、
「人に見せる型などそれで良い」
とのことだそうだ。
返って、
「ありゃ何だ。あんなものが武術か!?」
と、軽んじられるためにわざとそう見せているようなもので、その裏できちんとした鍛錬を積んでいればいいのだ、と。
太極拳についても同様のことが書かれてあったのをどこかで見た憶えがある。
また、自流を隠して、表向き太極拳の道場として門を構えている流派もあるそうだ。
ただ、その老師によれば、太極拳も、本来あるべき姿を隠して、オブラートに包んで見せていたのが、武術としての太極拳ということらしい。
そして太極拳は、そういう面がそのまま普及して定着してしまった、というわけだ。
だから太極拳も、あまり知られていないが、流派によってはちゃんと体を鍛えるところも残っているとのことだ。
けれどこんなことを書くと、
「太極拳は今の姿のままで立派な武術だ」
という反論も聞こえてきそうだ。
例えば、ゆっくりやることにもゆっくりやるなりの意味はあるし、“気”や呼吸など諸々のやり方もある。
ただ、しかしそれは、格闘技術の訓練そのものと言うよりは、体づくりや体の使い方などの意味がほとんどで、それでいて即効性は無いし、攻防技術に直結するような理屈でも無いと思える。
しかもちまたで言われるほど威力養成にも繋がらないのではないだろうか。

でもまぁ、上記のようなことは、僕が自分で直に調べたりしたわけではないので、どこまで信憑性のあることか、どこまで的を射たことか、は、それぞれ判断してもらいたい。

ともかく、多少乱暴承知で、太極拳も本来の姿はごく当たり前に荒々しい拳法だというのが僕の解釈だ。
また、大昔から今のような細々した理屈などあったはずが無いし、あっても、有効なこととそうでないことが入り交じっていたのではないだろうか。
細かい理屈は権威付けであったり素人を煙に巻くものであったりして、根幹として大事なことは別できちんとあるのだ、というのが、僕の感想だ。
なので、外功鍛錬を始めた当初は、
「これでは太極拳じゃ無くなってしまうのでは…?」
などと漠然と思っていたのだが、復帰後改めて鍛錬を始めてみると、その間に自分で技を研究して思ったことも含めて、また、教わった他の武術のことも含めて、
「どんな武術も結局一緒!」
と、思うようになった。
日本の武術も中国の武術も、骨格部分はそう変わらなくて、そこに何らかの創意工夫が幾らか加わって自流が出来上がっているだけで、どれが特別ということは無い、と。
太極拳が、
「相手の力を受け流して、自らもあまり力を使わずに相手を制する」
なんて言っているのは、そういう技術を顕著に謳っているだけであって、他の武術にまったく無いほどユニークな技術など無いと思う。
そして、強くなるために当たり前にやらなければならない重要な体づくりを、姿勢の完成度や身体操作や“気”の運用等に預けて、型稽古中心で強くなろうなんてのは虫が良すぎる。
太極拳の型をやっても、お互いに動き合っている中での攻防技術は養われないし、瞬時の防御や攻撃の当て勘などは個人のセンスに依存してしまう。
そこに、技を使えるようにするための様々な稽古法や鍛錬法など、元より工夫があって然りだ。
なので、あくまでも個人的な思いだが、“とある拳法”の鍛錬は、太極拳に本来あるべき部分を補填しているというのが僕の理解だ。
またそれは、太極拳が太極拳で無くなるような改変とは思っていない。

そしてこの鍛錬、僕らは入門から3〜4年でようやくサワリを稽古し始めたわけだが、僕はなるべく早い段階から教える方針だ。
まぁ、僕らの時代には色々あって時間がかかってしまったけれども、そして僕個人は紆余曲折あって回り道してしまったけれども、こういう鍛錬は早い段階からやる方がいいに決まっている。

ちなみに。
T先生と再会して稽古を始めたばかりの頃は、最初は型のおさらいをしていた。
1ヶ月ほど経った頃、T先生から、
「そろそろ“鍛錬”を始めようか」
と言われた。
僕はそれまでに色々とこの鍛錬の素晴らしさを聞かされていたので、
((こんなに値打ちこいたこと言ってるようなら、どうせまたなかなか教えてくれないんだろうな…))
などと思っていた。
一方、ブランクもあったし、しばらくは型だけでもいいや、と気長に構えてもいた。
なので、思ったより早くて意外だった。
するとT先生、
「きみのことをSさん(S先生)にも話してあるんやけどな。とりあえず今は型やってるって言ったら、すぐにでも鍛錬教えてやれって言われてな。僕は半年か1年くらい型でも教えとこうかと思ってたんやけど、Sさんからもそう言われたことやしな!」
と言って笑っていた。
ご本人は、至って親切に、そして優遇的に対応していると言いたげな感じだ。
((う〜ん、やっぱりか。勿体付けるところはT先生も相変わらずだな…))
と思いつつ、その時点でまだ再会していないS先生に心の中で感謝した。
そのS先生。
割と最近になってからの話だが、僕も自分の練習相手が欲しいので、ブログを通じてひとまず同好会のようなものを作って太極拳を中心に人に教えようと思っていると話したことがある。
その際、鍛錬についてはどれくらいから始めさせたらいいかお伺いを立てたのだが、S先生はすかさず、
「すぐにやらせたらええねん!」
とおっしゃった。
この鍛錬は地味なものだし、最初からやらせても意味などなかなか解らない。
教えてもなかなか伝わらない。
仮に何種類か経験して数ヶ月も続かずやめたとしても、その人には意味も価値もわからないし、浅い理解でどんなことを思おうがその人の勝手。
もし内容が中途半端に余所に漏れたところで大した問題ではない。
−−というのが、S先生のお考えだ。
S先生ならそうおっしゃるだろうと思っていたが、直接そう聞いて僕は安心した。
そして実は僕も同じ考えだった。
なので、興味ある人は連絡をくれるといい。
正宗太極拳を剛の鍛錬込みで習いたければ。

まとめとして。

元々、正宗太極拳の用法を教わり始めた頃にも感じていたのだが、僕が習った太極拳は、ふわふわと受け流して弾き飛ばすというよりは、弾力のある受け方をしてガツンと喰らわしてやるという感じだったので、一般的な太極拳とはちょっと違うイメージを抱いていた。
松田さんが書いていたような太極拳の戦い方を思い描いていた頃は、その前提で考えてしまっていたので、何かが欠けているんじゃないかという物足りなさを感じたりしたのだが、結果的にはこっちの方が真っ当だと思うようになった。
それでも、型の初伝的な用法などは、やっぱり大方が幻想だと思っている。
シンプル化して考えていけば、空手や他の拳法と大差無いというのが、僕の結論だ。
(まー今までにも何度も言っているようなことだけれども…)
また、この項でも書いているように、太極拳も本来の姿は荒々しい拳法だと思うので、様々な理論を取って付けて高級拳法扱いして、上品に王侯貴族が学んだとか値打ちこいているのが、おかしなイメージが一人歩きする元になっているという気がしている。
結局そういったことは客寄せの宣伝文句に過ぎない。
何を学んでも、どれだけ強くなれるかは結局、個人の問題なので、どの拳法が優れているとかよりも、自分の好みに合うものをやればいいと思う。
もちろん、指導者がちゃんと教えてくれて、習ってみて納得できる理屈があってこそだが。。

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2012年02月27日

しんどい外功鍛錬(筋トレ)

前項に関連して、当流の外功鍛錬(筋トレ)についてもう少し触れよう。。

30歳を過ぎた頃、利き手である左手を大怪我して、一時は武術をあきらめてしまったことは、前にも書いた。
その後はまともな練習などほとんどしなくなり、当然、体も鈍って、何年かするとごくフツーの中年のおっさんになってしまった。
そうでなくとも特別な鍛え方をしてきたわけではないのだから、自分と同年代の人の平均的な体力と比べて、どれほどの差があっただろうか…。
まぁ、若い頃は引き締まった体つきだったし、力も、特に足腰の強さでは人並み以上だったとは思うけれど。。
あまり運動をしなくなってからは、人間関係のイライラから胃の調子が悪くなることが増え、さらにビールや酒ばかり飲んでいたためか、体重が少しずつ増えて来た。
その癖、夏にはバテバテになり、一時は、
“夏の主食はざるそばとコーンフレーク”
なんて有様にもなった。
これではいかん!
…と思い、太極拳だけでも再開することにしたわけだ。

で、一気に端折るが、それから数年後、T先生と再会して、今に至っている。
(※そのT先生とも去年、決別してしまったけれど…)
最初は、健康のためにということと、出来れば、昔、中途半端になってしまった拳法の続きを、武術の雰囲気を味わう程度にでもいいからもう一度やりたいという思いだった。

T先生と再会することになったとき、事前に電話で話したが、その際、先生たちの最初の師匠であるW先生が今でもご存命であると聞いて驚いた。
そのときですでに百歳近くになっておられるのに、今でも太極拳をやってらっしゃるという。
「やっぱり太極拳って体にいいんだなぁ…」
と、単純に思った。
もちろん、太極拳だけが長寿の要因とは限らないのだけれども。
そして武術全般、体にいいとは言われているのだが、要は体を鍛え続けるということが大事なのだろう。
W先生の場合、若い頃から激しく鍛えておられて、これも前にも書いたが、70歳を過ぎた頃でさえ若者に劣らない動きだった。
そうやって体力を維持して来られたからこそ、今でもそれほどお元気なのだろう。
比べればまだまだ若い僕が、今から老人の健康体操程度に太極拳をやろうなどと思っていてはいけないわけで、
『昔やりかけていた外功鍛錬も、改めて教えてもらわなくてはなぁ…』
などと、同時に思った。
それから、T先生は、
「昔のアフターフォローの意味も含めて、太極拳くらいは使えるようにしてあげるよ」
と言ってくれた。
今さらどこまでやれるのか?…という不安もあったが、とても嬉しかった。
そして天王寺で再会。
冬、12月の初〜中旬頃だったと思う。
待ち合わせ場所に現れたときのT先生の印象は、
「あれ? 先生ってこんなに小さかったっけ?」
と、記憶よりも身長が低く感じられた。
昔は少々太めだったのが、心持ちスッキリしていたせいもあるだろう。
そのとき、力の必要性について話すと、
「あれからずっとしんどいこと(筋トレ)をやってるよ。おかげで僕もずいぶん体が変わってしまった」
と言っていたが、そう言われても上着を着たままなのでわからなかった。

また、T先生と再会する、たぶん半年くらい前だったと思うが、たまたまネットで見つけた同門らしき人のHPがあった。
「もしやS先生のお弟子さんでは?」
と思ってHPに書かれてあることを読んでみたら、その人は、
「しんどい稽古のせいで、70キロ台だった体重が今では100キロを超えてしまった」
というようなことを書いていた。
「そんなすごい稽古は昔してなかったなぁ…」
と思っていたのだが、結果(もっと後になって判ったが)、やはりその人はS先生のお弟子さんだった。

ともかくそれから、T先生とまた一緒に稽古をすることになった。
T先生は学校の教員をしているので、平日に自由が利く僕は、放課後にお邪魔して教えてもらうことにした。
年が明けて、早速その年の1月から初稽古。
先生が勤務する学校の、やや狭い講堂を、2人で貸し切り状態だ。
「体が変わってしまった」
というT先生の言だが、Tシャツ姿を見て、なるほどと思った。
腕が筋肉質になっていて、前腕が太く、肩などはとんでもなく発達していた。
まーお腹だけは相変わらず出ていたけれど、背中の筋肉も発達していて、後ろ姿は筋肉隆々な逆三角形だった。

初稽古から1ヶ月ほど経った頃だったか、件の外功鍛錬を始めることになった。
「長いブランクのある自分が、いきなりきつい筋トレについていけるのだろうか?」
と内心不安だったが、まぁ、その日は(後になって思えばずいぶん)軽めにしてもらえた。
確か、腕の筋トレ、鍛える部位別に2〜3種類の動作、そして同様に足…というようなメニューだった。
普段はあまり使わない箇所の、武術に必要な筋肉を、お互いに負荷をかけ合って鍛えるのだが、たぶん、それぞれを数十回程度ずつやっただけだったと思う。
内容的にも当然、初歩の鍛え方だ。
(※鍛錬の内容については、これ以上の詳しいことは書けないが…)
だが、大した運動をしなくなって久しい上に、年齢も上がってしまって、こんな筋トレをいきなりやるのはきつい。
しかも、多少は加減してくれているとは言え、T先生との力の差があり過ぎる。
僕はすぐに息が上がってヘトヘトになった。
帰りにT先生と一緒に寄った飲み屋で、
「このあともっときついやり方になるし、回数も増やすよ」
と言われて、気が遠くなる思いだった。
「まーそれはそれで楽しみです」
という風に受け答えしていたが、ビールのコップを持つ手がトレーニングの疲れでぷるぷる状態だった。

…けれど、まだまだあまかった。

次の日は足腰が立たないほどの筋肉痛になった。
中高年に差しかかって、これほどの筋肉痛を経験することになるとは。。
大した数もこなしていないのに…。
その痛みたるや、眠っているときに寝返りを打っても痛みで目が覚めるほどだった。
(疲れで寝付きはいいのだが…)
そして、次の日も、その次の日も、まだ筋肉痛。。
くっそー、やっぱ歳取って回復遅くなってるのかなぁ…。。
と、アンメルツや湿布を買ってきて使っても、一週間以上筋肉痛が引かなかった。

T先生との稽古は、基本「月3回を目安に」という約束だった。
なので都合によっては2週空くこともあったが、最初の頃は、2週空いても稽古日にはまだ前回の筋肉痛が残っていたりした。
そして何ヶ月か経っても、稽古後数日は、例えれば激しい暴行を受けたような痛みが続いた。
それでも、稽古から次の稽古までの間に何もしていないと、当日の鍛錬がきつくなるから、自分でも少しは筋トレをやっておく。
そして、鍛錬のメニューが変わり、回数が増えたりもするので、なかなか慣れるということが無い。
自宅で仕事をしているのが幸いだったが、時には寝起きやトイレにも困る有様。。
その鍛錬を始めてから4〜5年くらいは、筋肉痛がまったく無い日などは無かったくらいで、アンメルツや湿布も手放せなかった。

…しかし。。

そんな鍛錬をやっても、なかなか力は劇的に強くはならない。
もちろん、体が変わってくる実感はある。
気づかない内に前より力が強くなっていたりはする…のだが、それでも短期間にとんでもなく強くなったりはしない。
これはこれで、やはり積み重ねが物を言う鍛錬なのだ。

変化としては、半年もするかしないかで、胸や背中などの、今まで動かなかったところの筋肉が動くようになったりする。
特に背中の筋肉は、ミット打ちをするときのパンチの向上を実感できるようになる。
体の内部的にも、
「これこそが本当の“勁道”というヤツじゃないのか!?」
と、繋がる感覚が何となく解ってくる。
もちろんそれも程度の問題で、半年、1年、あるいは2〜3年で感じられるそういう感覚と、もっと熟練してから感じられるものとは、また違ってくると思うが。。
そして、
今まで他派の人とこういう話をちょっとでもすると、大抵誤解されたのだが、少なくともここで言う筋肉を鍛えるということは、筋肉に頼るということではないのだ。
しかし一方、
「力で済むところを力でやって何が悪い?」
という理屈も成り立つ。
また、これも前にも書いたが、
『力があってこそ、力を使わないような力の使い方が出来る』
−−のだと思っている。
その辺のことも熟考してもらいたいところだ。

さて、次回になるかどうかは未定だが、拳法の修行に役立ちそうな筋トレの基礎や、栄養摂取についてなど、また書こうと思っている。

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posted by hide at 03:39| 大阪 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 太極拳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする