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<title>太極拳ってど～よ!?</title>
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<description>太極拳と武術について徒然…</description>
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<title>Ｔ宮との交流 Part5</title>
<description>Ｔ宮に教えてもらったことは、そのときの僕にとっては大きなヒントになった。それまでは、友人との軽い組手や喧嘩の経験などで、何もやっていないよりは多少の利がある、その程度には身についている、と、自分に言い聞かせているに過ぎなかった。中国拳法や古武術を習って、色々な型や技の理を知ったが、実質、空手を続けていた方が強くなれたんじゃないかという思いも頭をもたげていた。しかし、立ち方や身法などは今の流派のものが馴染んでいたし、“理”に対する愛着もある。今のものをもっと身につけて強くなりた...</description>
<dc:subject>徒然エッセイ</dc:subject>
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<dc:date>2009-06-29T02:31:25+09:00</dc:date>
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Ｔ宮に教えてもらったことは、そのときの僕にとっては大きなヒントになった。<br />それまでは、友人との軽い組手や喧嘩の経験などで、何もやっていないよりは多少の利がある、その程度には身についている、と、自分に言い聞かせているに過ぎなかった。<br />中国拳法や古武術を習って、色々な型や技の理を知ったが、実質、空手を続けていた方が強くなれたんじゃないかという思いも頭をもたげていた。<br />しかし、立ち方や身法などは今の流派のものが馴染んでいたし、“理”に対する愛着もある。<br />今のものをもっと身につけて強くなりたいという気持ちの方が強い。<br />しかし、続けたとしても、秘密や出し惜しみの多い世界でどれほどのことを教えてもらえるのだろう？…という疑問もある。<br />そんな堂々めぐりの思いだった。<br /><br />そんなときに参考になったのが、３月の記事『<a href="http://doyotaichi.seesaa.net/article/115944318.html" target="_blank">隣の芝生</a>』で紹介したような書籍たちであり、Ｔ宮との再会で得られた情報だった。<br /><br />最初にＴ先生の道場に通っていた頃、Ｘ先生が新しい団体を立ち上げることになってにわかに活気づいた時期があり、後進の指導者を早く育てる方針になったからと、入門して３年くらいの頃でも、<br />「君たちには今までなら５年以上にならんと教えんようなことも教えてるんやで」<br />と言われていた。<br />しかし一方、もう少し後で、Ｔ先生が就職活動に忙しくなり始めたせいもあったが、<br />「もうそろそろ習いに来るのは月１回程度でもいいかもね。今の時点で僕が知ってるようなことは君らにはだいぶ教えたから、後はそれぞれ自分で練習をしていけばいい」<br />というようなことを言われたことがあった。<br />僕らはまだまだ強くなった実感など無かったし、多少は自信めいたものがあっても、根底では一人前にはほど遠いことを判っていた。<br />帰りには、<br />「そんなこと言われてもなぁ…」<br />という思いを話し合った。<br /><br />兄弟弟子のＫ阪さんは、<br />“型を一人で練っていけば本当に強くなれるんやろか？”<br />という疑問を常々持っていたし、<br />「やっぱり相対練習は絶対必要やと思うねん。型も大事なのは解るけど、口伝とか、教わってないこともまだあると思うし、もっと人との練習せんと身につかへんのとちゃうかなぁ？」<br />というようなことも言っていた。<br />例えば、ボクシングを習いに行った人が、<br />「そろそろかたちができてきたから、あとは一人で練習しなさい」<br />なんて言われることは、考えられないだろう。<br />たぶん…だけれど、Ｋ阪さんが言いたかったことは、僕たちは型と理屈を教えてもらうだけでなく、それを使えるようにコーチング（技術指導）してもらいたい、ということだったのだと思う。<br />当時の僕はそこまではっきりとした考えでは無かったが、やっぱり行き詰まりのようなものは感じてしまった。<br />そんなときに家庭内のごたつきがあって抜けてしまったが、正直言えば、もしこのときにもっと先々の希望が見えていれば、多少の困難はあっても道場をやめたりしなかったのかも知れない。<br />ただ、Ｘ先生が、<br />「これからは本当のことを教える」<br />と、外功に重点をおいた練習を始めた頃の、先生たちの混乱も薄々は感じていたし、よくわからないことも多かった。<br />…まぁ、当時のことは、色んなことが重なって、そのときに思ったことなので、「もし」や「たられば」を言っても仕方がない。<br />とにかく僕は、プライベートな事情と相まって、ただただ面倒になり、ただただしんどくなった。<br />…しかし。<br />やっぱり武術への未練は持ち続けていたし、仕事や生活が落ち着いたらＴ先生に連絡を取ろうと思っていた。<br />Ｘ先生によって変わってしまった教授内容も、続きが気になっていたし…。<br />Ｔ宮との再会はそのきっかけにもなった。<br />実際、落ち着いてもいないのに連絡を取って、結果的には一時的な復帰になり、また長いおいとまになってしまったのだが…。。<br /><br />まぁ、それはさておき。<br />Ｔ宮との交流についてまとめよう。<br /><br />まず“新聞抜き”の発勁練習について補足するが、これを成功させるには、インパクトの瞬間に充分なスピードを出せることが鍵だ。<br />逆に言えば、フォームも発勁もクソもなく、軽く拳を握って、手首のスナップを効かせて裏拳の要領でとにかく速く振れば、上手く当たれば簡単に穴が空く。<br />しかし突きの動作では、瞬間的にそういうスピードがなかなか出せない。<br />だから新聞抜き自体は、突きにおいて、少なくともＴ宮が言う“発勁”が、最低限うまくいっているかどうかの目安…ということになるだろう。<br />問題はその先の、使い方や効かせ方なのだ。<br />速くても、軽ければ、ジャブのようにしか使えない。<br />もしそうなら、難しいことを考えなくても、ジャブの練習をすればいい。<br />それに、Ｔ宮がやっていたような八極拳のどっしりした動作では、一歩に時間がかかる分、そのまま使えるとは思えない。<br />大きく踏み出して振り出すような突きがジャブのように速くても、あまり意味が無さそうではないか。。<br /><br />また、寸勁などの話をしていたとき、彼は、<br />「拳と相手との距離がゼロでも、勁が自分の体の中を通って相手に伝わるから、実際にはゼロではない。だから効く」<br />と言っていた。<br />そのときは、<br />（なるほど…）<br />と思ったが、後で考えてみたとき、ちょっと疑問が湧いた。<br />Ｔ宮が説明していたように、ウエーブのように伝わるのなら、例えば、踵から発した力が拳に伝わるまでの時間はどれくらいだろう？…と。<br />つまり、拳を引いて、やや後ろ足に重心がある状態から、前足に重心移動して突き出す動作と比べて、似たような速さなら意味がない。<br />短い距離から相手を突く場合、一瞬で体の各部が繋がって強力な打撃にならなければ、実用的とは言えないのではないか…？<br />そう考えると、<br />形意拳や、形意拳的と言われる、僕が習った正宗太極拳の打ち方の方が、一見簡素に見えて力の出し方がわかりにくいが、理に適っている気がしてきた。<br />さらに言えば、<br />Ｔ宮が説明したような発勁は、あくまでも初歩で、力をわかりやすく使った、いわゆる明勁の段階でしかないのではないか、そしてそれを進めていくと、僕が習ったような打ち方になるのではないか…という仮定に至った。<br /><br />そして僕たちは、そういう初歩をやっていないがために、なかなか打ち方がつかめなかったのかも知れない。<br />もしくは、打ち方がわかるような指導なり口伝なりを受けていないからか…？<br /><br />そんな疑問も同時に湧いたが、とにかく、最初は目新しさに驚いたものの、色々考えていくと特別な差異は無いように思えてきた。<br />ひらめき始めると、幾つものヒントが浮かんできた。<br /><br />それから、これより前に、映画『少林寺』で、縄の先につけた武器を振り回して戦うシーンがあって、飛び縄でちょっと真似てみたことがあるのだが、そのとき、とりあえず両手の縄を交互に振る練習をしてみて、縄の動きに連動して腰が動くことに気づいた。<br />フラフープを回すときの腰の動きを、もっとずっと小さくしたような感じだ。<br />（※ちなみに縄の武器は、「縄標（じょうひょう）」もしくは「流星捶」のいずれかだと思うが、映画の中で使われていたのがどちらかは憶えていない）<br />で、この腰使いを利用して振り出すと、Ｔ宮の突きの動きに近づく気がした。<br />そういうことが先にあったので、Ｔ宮の突き方は僕なりに比較的すぐに理解・消化できた。<br />そして、その腰の入れ方を取り入れながら太極拳をやって、それを少しずつ小さくするように試みた。<br /><br />…まぁ、その後のウチの流派の身法からすれば、これは少し違うのだが、今振り返って思うに、こういうのもアリというか、手前味噌ながらまーまーいいセンいってたんじゃないかという気もしている。。<br /><br />あと、心法を伴うものは一日に何度もやってはいけないと言われたが、僕は結構何度もやった。<br />やり方がぬるかったからかも知れないが、特に負担のようなものは感じなかった。<br /><br />結局、Ｔ宮が教えてくれたことは、僕は僕なりに消化したわけだが、それが正しい道筋だったかどうかは、わからない。<br />彼の言う通りに一からやった方が、もっと理解できたのかも知れない。<br />あまり自分が学んだことの立場から見過ぎると、それが先入観や固定観念となり、理解の幅を狭めてしまう。<br />そういうことも踏まえて、色んな角度から柔軟に見る目を持つことも大事だ。<br />しかし交流期間が短かったから、いずれにしても判断のしようがない。<br />とにかく、今まで他派と交流した中では、Ｔ宮の説明が一番面白かったし、後々の参考にもなった。<br />比較してみることで自分の流派のことを理解するのにも役立った。<br /><br />少なからず疑問を抱いていた時期もあったが、“隣の芝生”に過分な目移りがすることは無くなったし、彼との交流がきっかけとなって色々気づいたことの中には、Ｔ先生と再会後に教えてもらったことに近いこと、惜しいことも少なからずあった。<br />有益な情報だったと、感謝している。<br /><br />あ、そうそう。<br />前項で、ボディガードの話云々書いたが、彼は生活が苦しかったようで、一緒に住んでいる女性が居たので（確か生まれたばかりの子供も居たような？）、それにまつわる事情があったのかも知れない。<br /><br />Ｔ宮、もしこのブログを読んだら、連絡くれ。(^_^ゞ<br /><br /><a href="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/img/bujutsuchina80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 中国武術へ" /></a>　<a href="http://fight.blogmura.com/bujutsu/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsu/img/bujutsu80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 武術・武道へ" /></a><br /><a name="more"></a>

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<title>Ｔ宮との交流 Part4</title>
<description>前項の発勁練習の２つ目は、彼の流派での“心法”ということになるのだろうか。心理的・内面的な蓄・発という意味で…。ただ、少なくともＴ宮的には、今風にイメージトレーニングと言い切れるようなものではなくて、そこには“気”が関係しているようだった。つまり、生命エネルギーのような“気”をめぐらし、練り、圧縮して、勁道に沿って発するのが、彼の言う発勁だ。だがここで、「では、“気”とはそもそも何ぞや？」という問題がある。彼は“気”を、生命エネルギーのようなもので、霊的な意味もある、と言って...</description>
<dc:subject>徒然エッセイ</dc:subject>
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前項の発勁練習の２つ目は、彼の流派での“心法”ということになるのだろうか。<br />心理的・内面的な蓄・発という意味で…。<br />ただ、少なくともＴ宮的には、今風にイメージトレーニングと言い切れるようなものではなくて、そこには“気”が関係しているようだった。<br />つまり、生命エネルギーのような“気”をめぐらし、練り、圧縮して、勁道に沿って発するのが、彼の言う発勁だ。<br />だがここで、<br />「では、“気”とはそもそも何ぞや？」<br />という問題がある。<br />彼は“気”を、生命エネルギーのようなもので、霊的な意味もある、と言っていたのだが、そのときの僕は、あるのか無いのかわからない、見えないものを、にわかに信じることはできなかった。<br /><br />ここでちょっと昔にさかのぼるが、子供の頃の経験に触れる。<br />子供の頃の僕はと言えば、ミステリーやオカルトが大好きだった。<br />笑われるかも知れないが、中学生のある時期、霊能力があるという女の子とよく遊ぶようになって、その影響で自分もそういう能力が芽生えた気になっていたことがある。<br />精神を集中すると、人の後ろにモヤのようなものが見えて、僕はそれを背後霊として人物を識別できるような感覚を持っていた。<br />そしてまた不思議なことに、未来や過去のことがふと頭に浮かんで、それを口にすると、ズバリ当たっていたりしたのだ。。<br />例えば、ある日、社会の先生が教壇に立っていたとき、<br />「あの先生どっか悪いのかなぁ？　明日休むんじゃない？」<br />と、独り言のように口に出した。<br />すると隣に座っていたクラスメートの女の子が、<br />「〇〇先生、肝臓悪いって言ってたよ」<br />そして翌日、本当にその先生は学校を休んでしまった。<br />前日に近くの席で聞いていた連中はびっくりして、僕が霊能力者だと少しばかり広まった。<br />今思うとおかしいが、こういうことが何度かあった。<br /><br />そしてまたある日、夜中に霊に襲われた。<br />ふと目が覚めたのは、確か２時台だったと思う。<br />僕は仰向けに寝ていたのだが、目の前には修験者のような格好をした男が、ものすごい形相で、馬乗りになって、僕の胸の上に手を置いていた。<br />（えっ！？）<br />と思った途端、胸骨に痛みが走った。<br />いきなり胸を押さえつけられたのだ。<br />隣の部屋では、母親が録画したＴＶ番組のビデオを観てケタケタ笑っていた。<br />僕は何故か冷静で、何とかしなければと思いながら、手を伸ばして襖を叩こうとしたが、体が金縛りにあって動けない。<br />少しずつ焦りと痛みで冷や汗が出てきて、だんだん気が遠くなっていった。<br />…そして、気がつくと朝。<br />（夢か？）<br />と思ったが、胸骨に激しい痛みが残っていて、それが数日取れなかった。<br /><br />霊能力者（？）の女の子曰く、僕の守護霊が助けてくれたのだそうだ。<br />霊らしきものをくっきりとした姿で見たのも、金縛りを経験したのもその一度きりだ。<br />もちろん夢かも知れない。<br />そしてその日のことをきっかけに、僕にあった霊能力的な感覚はまったく無くなってしまった。<br />無くなってみると、それまでの感覚に対して懐疑的になった。<br />自分にもあったらいいなという思いが強すぎて、そんな能力があると思い込んでいただけじゃないのか、と。<br />それは今でもわからない。<br />でも今は、正直、霊魂のようなものを信じてはいない。<br />わからないものを「無い」と断言もしないけれど。。<br /><br />そして話は戻るが。。<br /><br />Ｔ宮は、そういうものを信じていて、人間の体には霊的なエネルギーが重なっているような感じのことを言っていた。<br />どんな表現だったのかは、はっきりと覚えていないが…。<br />そしてその“気”は、生物すべてに宿っていて、他者の“気”を吸い取ることもできるそうだ。<br />兄弟弟子たちと、相手の“気”を吸い取る練習をすることもあるという。<br />“気”を奪われると、ガクンと力が抜けて、一気に疲れてしまうそうだ。<br />「じゃあ、オレから気を抜いてみてくれ」<br />僕は彼に実演を催促した。<br /><br />Ｔ宮は僕の肩のあたりに手をかざして、しばらく集中。。<br /><br />しかし僕は何とも無くて、何の変化も感じなかった。<br />彼は意外な顔をしていた。<br />思うに、“気”を感じられる人同士の間ではそういうことが起こるのかも知れないが、僕は鈍感なようだ。。<br />ちなみにＴ宮の言う“気”は、人間だけでなく、他の動植物からももらうことができるそうで、普段は公園の木々などの植物から吸い取る訓練をしているというようなことも言っていた。<br /><br />僕は、まぁ少しだけ書くが、“気”は、一言で言ってしまえば“脳内現象”だと思っている。<br />例えば、錯覚なども含めて「そんな気がする」ということや、思えば体に何らかの作用を及ぼすことも、脳がそう感じることを便宜的に説明した概念ではないかと…。<br />そして、日本でも、ほんの何十年か前まで、霊魂を本気で信じている人の割合は今よりずっと多かったことだろう。<br />巨大なド田舎である中国ではなおさらだ。<br />だから霊的パワーのような“気”の概念が未だにあってもおかしくはない。<br />まぁ、霊的なものが本当にあるか無いかは、どっちでもいい。<br />問題は、昔の人がそういう風に解釈し伝えてきた“気”が、武術においてどのように扱われ、使われてきたか、そして本当に実用的なものかどうか、だ。<br />僕は“気”の技術は、あると思っている。<br />まぁそれは改めて。。<br /><br />Ｔ宮から得られたことは、ざっとこんな感じだ。<br />その後、しばらくして彼とは連絡がつかなくなり、それきり消息不明で、ずっと会っていない。<br />当時、彼は失業していて、<br />「うちの技は元々黒社会系で、本当に人を殺せる技術や」<br />というようなことを言っていたので、<br />「じゃあいっそボディガードでもやってみるか？」<br />と、僕が勤めていた店に来ていた某組長を紹介してやると言ったら、そのせいかどうかはわからないが、来なくなってしまった。<br />まぁ、元々優しくて繊細なヤツだったし、さすがに本当にそっち系にどっぷり浸かるのは嫌だったのかも知れない。<br /><br />次回は、しめくくり。若干の考証とまとめ。<br /><br /><< Part5へ続く >><br /><br /><a href="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/img/bujutsuchina80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 中国武術へ" /></a>　<a href="http://fight.blogmura.com/bujutsu/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsu/img/bujutsu80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 武術・武道へ" /></a><br /><a name="more"></a>

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<title>Ｔ宮との交流 Part3</title>
<description>前項で“雷声”に触れたが、少し補足しておこう。Ｔ宮が説明した“雷声”について、発声のタイミングを槍投げに例えたが、もっと具体的な例を思いついた。それは女子テニスのシャラポワ選手の発声だ。彼女はボールを打つのと同時に発声するのではなくて、打った直後に、漏れるように発声する。実際、本人も何かのインタビューで、「どうしても漏れてしまう」というようなことを述べていた。だから彼女の場合、意識的な発声ではないのだろうが、タイミングについて言えば、あの感じだろうと思う。また、昔、松田さんが...</description>
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<dc:date>2009-06-18T22:29:40+09:00</dc:date>
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前項で“雷声”に触れたが、少し補足しておこう。<br />Ｔ宮が説明した“雷声”について、発声のタイミングを槍投げに例えたが、もっと具体的な例を思いついた。<br />それは女子テニスのシャラポワ選手の発声だ。<br />彼女はボールを打つのと同時に発声するのではなくて、打った直後に、漏れるように発声する。<br />実際、本人も何かのインタビューで、<br />「どうしても漏れてしまう」<br />というようなことを述べていた。<br />だから彼女の場合、意識的な発声ではないのだろうが、タイミングについて言えば、あの感じだろうと思う。<br />また、昔、松田さんが書いていた「フン」「ハ」の呼吸がある。<br />（※漢字を忘れてしまった。調べるのが面倒なのでカタカナにする）<br />これは僕の勝手な想像だが、もしかしたらこの“フン・ハ”に当てはめて考えると、ウチの流派の発声は「フン」にあたり、Ｔ宮の雷声は「ハ」にあたるのかも知れない。<br />そして、Ｔ宮はたぶん、意識的に用いるような説明をしていたと思うのだが、カン高い声を振り返って思うに、シャラポワのように一瞬力強く息んだ結果、“漏れてしまう”というのが自然のような気もする。<br /><br />さて、続き。<br /><br />Ｔ宮は発勁の練習法を教えると言って、新聞の朝刊と洗濯バサミを要求した。<br />新聞は、全部拡げた状態ではなくて、二つ折りのところまで拡げる。<br />当時で20枚分くらいの厚みだったろうか…？<br />確か針金のハンガーで、その両端に洗濯バサミを使って吊すようにした。<br />Ｔ宮は、どう構えていたかよく憶えていないが、一歩踏み込んで、八極拳の横向きになる格好で、拳で突いて見せた。<br />スパーン！<br />という小気味いい音が鳴って、新聞紙に穴が空いた。<br />「ええ？」<br />「どや。スピードと呼吸が一致せんとなかなか空かへんで！」<br />厚い朝刊は幾らか重みもあるが、吊っているだけなので安定しない。<br />そして案外固い。<br />例えば四隅を固定して指先で突いてみれば、意外と張りがあることが判るだろう。<br /><br />とりあえず僕も彼の動作を真似てやってみたが、ことごとく失敗。<br />…まぁ、八極拳の型に不慣れなせいもある。<br />横向きになって突くというのはどうも馴染めない。<br />そこで、ウチの流派の弓歩で立って、形意拳の崩拳のように縦拳で突いてみたり、金鷹拳のように横拳（正拳）で突いてみたりした。<br />しかし毎回、<br />バッ！<br />という音がして、新聞紙が後方に揺れ動くのでなかなか穴が空かない。<br />「へー。難しいもんやな…」<br />「そやろ！」<br />Ｔ宮は少し得意げだ。<br />そしてまた、２～３回手本を見せてもらい、動きを観察した。<br />少し慣れてくると、何枚目かまでは小さな裂け目が出来るのだが、Ｔ宮のように貫通するところまではいかない。<br />Ｔ宮の動きは、彼が最初に説明したように、蓄・発の体重移動と、それに伴って波が伝わるように拳に向かって加速する感じだ。<br />例えばムチのように。<br />しかし動作の完成形はきちんと突いた格好になっている。<br />まずはその感じを、僕が習った型の上で行ってみようと試行した。<br /><br />次に、定位置での突き。<br />新聞に突きが届く距離で立って、手を最初は掌のまま額の前あたりにかざす。<br />半眼で瞑想するようにしながら、<br />「前方の物を突きたいが何か障害があって突けない」<br />というような感じをイメージする。<br />例えば手を前から押さえられているような。<br />そのストレスをかけ続けることによって、自らに精神的な圧を加える。<br />それが極限に達したと思う瞬間に解放して、前方の新聞紙を突く。<br />但しこれは、一日にあまり何度もやってはいけないとのことだった。<br /><br />実際にはもう少し細かい説明を受けて、あと站椿の際のイメージ法なども教えてもらったが、それは伏せておく。<br />これを参考にしたい人は、自分が習ったものの延長上で試行錯誤してみてもらいたい。<br /><br />ちなみに、上記の内、似たようなことや重なることは、ウチの流派でも後に説明を受けたが、この時点ではまだ知らなくて、彼の言うことはなかなか新鮮だった。<br /><br />Ｔ宮は、その某会の中では、素質を認められて、短い年数ながらもかなりのところまで教わることができたのだと言う。<br />そして僕にも、<br />「ホンマの発勁できるようになる人間は少ないから、できそうなヤツには教えようと思ってるんや」<br />と言っていた。<br />「ふーん。オレ、できそうかな？」<br />「うん、hideならできるようになるんとちゃうか」<br />僕はイマイチ実感が持てないまま、Ｔ宮が帰ってからも自分なりにその訓練を続けた。<br /><br />Ｔ宮が２度目に来たときには、僕は新聞紙を貫通できるようになっていた。<br />ただ、これにはちょっとタネがある。<br />彼が拳をしっかり握っていたかどうか、また、拳頭を当てて貫通していたかどうか、などを考えて、色々と当て方を試した。<br />そして僕なりの工夫で貫通できるようになったので、本来のやり方に沿ったものかどうか…。。<br />要は、発勁の訓練をしているのであって、新聞に穴を空けることが目的では無い。<br />穴が空くのは一つの目安だからだ。<br />それでもＴ宮は、<br />「素質がある」<br />と言ってくれたが、僕はちょっと疑問に思っていた。<br />結局、これは、訓練法に過ぎなくて、実戦的な修練と言うよりは、基礎的な体の使い方であったり、呼吸法であったり、イメージトレーニングであったり…ということなのだろうと思った。<br /><br />Ｔ宮はその後も１～２週間おきくらいのペースで何度か遊びに来てくれた。<br />別の場所で会うこともあった。<br />型を教えてくれようともしたのだが、僕は覚えるのが面倒で、最初のサワリ程度ですぐ断ってしまった。<br />まぁ、正直言えば、大架式の型には魅力を感じなかった。<br />体の使い方を基礎から修得するのにはいいかも知れないが、すでに何年も型をやっているのだし、このときの思いとして、今さら一からという気にはなれなくて…。<br /><br />あと、この打ち方は面白いのだが、新聞貫通の要領で相手の胴体を打つには、ちょっと拳が軽いのではないかという感じもした。<br />しかし陳家太極拳も八極拳も、どっしりした感じだったし、この打ち方の延長上で、体重を乗せて突き込む、または押し込むような突き方を、するのかも知れない。<br /><br />とにかく、彼に一から教えてもらうのでない限り、自分なりに工夫するしかない。<br />もちろん彼のすることが実戦的で凄いと思えれば「一から」という気になっていたかも知れないのだが、ユニークではあっても、わざわざ乗り換えたいと思うほどの凄みは感じなかった。<br />ただ、彼に教えてもらって参考にしたことは、その後の工夫にも幾らか繋がり、独りの時期、かなり長い間取り入れていた。<br />また、彼と再会しなければ、その時期、先生のところに戻ろうとしていなかったかも知れない。＜結果的には一時的なものになってしまったが…。<br /><br />次回は“気”について。<br /><br /><< Part4へ続く >><br /><br /><a href="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/img/bujutsuchina80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 中国武術へ" /></a>　<a href="http://fight.blogmura.com/bujutsu/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsu/img/bujutsu80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 武術・武道へ" /></a><br /><a name="more"></a>

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<title>Ｔ宮との交流 Part2</title>
<description>さて、ここで言うのも何だが、せっかくＴ宮が好意で教えてくれたことを、さすがに全部書くわけにはいかない。彼からの情報が、彼が知っていることの一部に過ぎないにしても。一応、そのことを念頭に、読んでいただきたい。Ｔ宮が説明した“発勁”は、僕なりに要約すると、身法、心法、呼吸の一致が必要とのことで、勁道とは力の起点から攻撃に使う部位（例えば拳）までの通り道を言うのだそうだ。そして勁道は、拳種や技によっても違う。例えば八極拳には八極拳の勁道、形意拳には形意拳の勁道がある、というわけだ。...</description>
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<dc:date>2009-06-17T04:55:51+09:00</dc:date>
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さて、ここで言うのも何だが、せっかくＴ宮が好意で教えてくれたことを、さすがに全部書くわけにはいかない。<br />彼からの情報が、彼が知っていることの一部に過ぎないにしても。<br />一応、そのことを念頭に、読んでいただきたい。<br /><br />Ｔ宮が説明した“発勁”は、僕なりに要約すると、身法、心法、呼吸の一致が必要とのことで、勁道とは力の起点から攻撃に使う部位（例えば拳）までの通り道を言うのだそうだ。<br />そして勁道は、拳種や技によっても違う。<br />例えば八極拳には八極拳の勁道、形意拳には形意拳の勁道がある、というわけだ。<br />まぁ…それはＴ宮に言われなくても想像の範疇だし、意外なことではない。<br />少しずつ書籍で解説され、大陸系の武術が入ってきて、勁というものが特別な用語で無くなり始めた頃だったから、そこからも想像できなくはなかった。<br />問題は具体的な方法なのだ。<br /><br />前に書いたが、日中友好協会系の教室かサークルで練習している人たちと話したとき、彼らが発勁と言ってやっていたことは、息を短く吐きながら拳を出す空手やボクシングと何ら変わりが無かった。<br />彼らがまだ初心者だったからかも知れないが、もしそれが発勁の正体であるのなら、特別な差異は無いことになる。<br />本当にそうなのかどうか、知りたかった。<br /><br />ここからは、彼の説明に添って、アウトラインや、ヒントになるような範囲で書く。<br /><br />発勁の修得段階としては、まず型の動きから勁道を理解して力をスムーズに伝えることから始めなければならない。<br />だから初めは、力を抜き、ゆっくり行う。<br />そしてそれに“気”を乗せる訓練をする。<br />“気”は一種の生命エネルギーで、霊的な意味もあるらしい。<br />自分の中の“気”を育てるには、丹田を意識して、そこから体内をめぐらせるようにイメージする。<br />そして“気感”が得られるようになったら、それを思うところに移動させられるように、立禅や型の上でもトレーニングする。<br /><br />発勁を単体の動きで練習するときは、蓄勁のとき丹田で気を圧縮させ、それを勁道を経て一気にぶつけるようなイメージで突く。<br />同時に息も吐く。<br />圧縮した状態から一気に爆発するように。<br />松田さんの解説だったかどうかはよく憶えていないが、何かの本で、<br />「爆発呼吸はくしゃみのようなものだ」<br />と書かれていたことがあったと思うが、そんな感じの一瞬の呼気だ。<br />さらにそれを増幅させるための発声法が“雷声”（らいせい）で、Ｔ宮のは、カン高い鳥の鳴き声のような発声だった。<br /><br />また、雷声は、突きよりも少し遅れて発するそうだ。<br />雷は、光ってから遅れて音が鳴る。<br />それが雷声の由来だと言う。<br />陸上競技の槍投げの選手が、槍を投げた直後に発声したりするが、その方が飛距離が伸びるという。<br />拳法の場合もその方が威力が増す、同じ原理だ、ということらしい。。<br />なるほど、と思えなくもない。<br />ウチにはそういう考え方は無いようだが、それも一つかも知れない。<br /><br />ちなみにウチの流派の雷声は、これとは違う。<br />具体的な説明ははばかられるが、以前、ネット上で、形意拳をやっているという人が、その人の流派での雷声を、<br />「バイクの空ぶかしのような感じ」<br />と表現していたことがあったが、まぁ、それに似ていると言えなくもない。<br />もしかしたら同じかも知れない。<br /><br />あと、八極拳では横向きになって肘打ちを行う型があるが、どうやって威力を出すのかとか、十字勁について、などを尋ねた。<br />だが、そのときはあまりピンと来る説明ではなかったため、よく憶えていない。<br /><br />それから、太極拳の起勢で姿勢を下げる動作のとき、彼が習った陳家の型では、つま先を外側に踏みしめるようにして、太股は心持ち内側に絞め、股間を丸く（一見ガニマタのように）し、腰を前方に納めるように引っ込め、尻の穴が体の真下に来るようにする。<br />確かに、陳家の人のそんな姿勢を見たことがある気がする。。<br />ただ僕的には、<br />足は纏糸に関連して「なるほど」と思ったが、腰や股間のあたりは、その姿勢だとへそが上を向くような格好で、例えば座椅子に座ってだらけているときのような感じになる。<br />これに含胸抜背を加えると、立身中正が崩れる。<br />まぁそこは微妙な加減でバランスを取るということなのかも知れない。<br />ずっと後のことになるが、このときのことをＴ先生に話すと、<br />「その方が力が抜けるからじゃないか？」<br />とおっしゃっていた。<br />力を抜くことを目的にすればそうなのかも知れない。<br />しかし些かだらけた風にも見えてしまうほどになると、極端ではないのだろうか…？<br /><br />また、この少し前あたりから流行り始めたブレイクダンスで、当時、片方の腕から肩、そしてもう一方の腕にかけて、ウエーブを描くような動作が流行っていた。<br />太極拳の型でもそんな感じを意識してやればいいと、実演してくれたのだが、確かにそれがＴ宮の言う勁道と重なるようにも思えて、面白かった。<br /><br />このとき、中国拳法に限って言えば、僕の方がＴ宮より少し長いキャリアだったが、知らないことがまだまだ多かった。<br />Ｔ宮がやっていることは、型は大架式であまり実用的な動きには見えなかったが、１から丁寧に段階を経て教えてもらっている感じがして、うらやましい気になった。<br />僕の方はと言えば、詰め込むように次々と拳法やら柔術やら、型を幾つも教えてもらってはいたが、結局どう使うのかわからないままでいたからだ。<br />もちろん用法も色々教わってはいた。<br />しかしそれは型に沿った説明で、中には使いやすそうなものや、お気に入りもあったが、今まで習ったものを自由に駆使して戦えるというのにはほど遠かった。<br />Ｔ宮は、動きはまだ大きくても、迷いがない。<br />大架式の型を、身法要求をキレイに満たして、卒なくこなしていた。<br />彼の方がよほど身についているように見えた。<br /><br />これも何かの縁。<br />Ｔ宮から得る物があれば…という気持ちが募っていった。<br /><br />次は、発勁練習法のお話。。<br /><br /><< Part3へ続く >><br /><br /><a href="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/img/bujutsuchina80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 中国武術へ" /></a>　<a href="http://fight.blogmura.com/bujutsu/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsu/img/bujutsu80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 武術・武道へ" /></a><br /><a name="more"></a>

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<title>Ｔ宮との交流 Part1</title>
<description>2009年03月20日『隣の芝生』の続き。高校時代に知り合ったＴ宮とは、卒業後もしばらくはつき合いがあったが、いつの間にか会うこともなくなっていた。（※Ｔ宮については、何度か出てきているので、過去の内容を知りたい人は、記事検索で「Ｔ宮」と入力して検索してみてもらいたい）彼とは、直接親しいというよりも、高校時代は同人誌サークルを主催している“Ｋ”という女の子を介しての繋がりで、彼女とのつき合いが途絶えてからは、同じように同人活動をしている“Ｅさん”繋がりだった。僕はＥさんとはそ...</description>
<dc:subject>徒然エッセイ</dc:subject>
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<dc:date>2009-06-16T23:52:16+09:00</dc:date>
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2009年03月20日『<a href="http://doyotaichi.seesaa.net/article/115944318.html" target="_blank">隣の芝生</a>』の続き。<br /><br />高校時代に知り合ったＴ宮とは、卒業後もしばらくはつき合いがあったが、いつの間にか会うこともなくなっていた。<br />（※Ｔ宮については、何度か出てきているので、過去の内容を知りたい人は、記事検索で「Ｔ宮」と入力して検索してみてもらいたい）<br />彼とは、直接親しいというよりも、高校時代は同人誌サークルを主催している“Ｋ”という女の子を介しての繋がりで、彼女とのつき合いが途絶えてからは、同じように同人活動をしている“Ｅさん”繋がりだった。<br />僕はＥさんとはそれほど親しいわけではなかったが、ある時、彼女たちが主催する同人誌即売会で行う寸劇にＴ宮と一緒に出てくれと頼まれた。<br />そして、アニメのパロディに『必殺仕事人』や『男組』の要素を加味したような劇を作って、数人で演じた。<br />それがきっかけで（？）、Ｔ宮は殺陣や立ち回りなどのアクションに興味を持ち始め、ヒーロー物の着ぐるみショーのバイトをするようになった。<br />何事にも凝り性なＴ宮は、アクションの型を覚えてきては、メンバーに指導していた。<br />…まぁそんな風に、楽しく遊んでいたのだが、僕には家庭のごたごたがあり、当時つき合っていた彼女と別れたり、急に一人で生活していかなければならなくなったり、諸々ある内に道場からも離れて、彼らとも遠ざかってしまった。<br /><br />そして何年かして、街なかでＴ宮と偶然バッタリ会った。<br /><br />20代半ば、まだ北新地で働いていた頃だ。<br />前に書いた『<a href="http://doyotaichi.seesaa.net/archives/200805-1.html" target="_blank">２つの突き</a>』（※P1～P4あり）の中で書いた喧嘩の時期より後で、水商売から足を洗う少し前だった。<br /><br />彼との再会、交流は数ヶ月くらいだったか…？<br />その後僕は先生のところに一時戻るのだが、あるきっかけで急に思い立って水商売をやめてしまったため、生活に窮して、また行けなくなってしまった。<br />そのことが心苦しくて、その後はずっと先生に連絡を取らなくなってしまうのだが、…まぁ、それはおいて。。<br /><br />Ｔ宮と再会して話をする内、彼がその後中国拳法を習っていると聞いて、話が弾んだ。<br />この時点でのキャリアは３～４年とのことだった。<br />僕の記憶に間違いなければ、前に書いた某会に入門して、彼は八極拳と陳家太極拳を中心にやっているとのことだった。<br />「をー。“男組”に燃えた時代を思い出すなあ！」<br />どちらも最初に憧れた拳法だっただけに、ちょっとうらやましかった。<br />それから、改めてゆっくり話したいから家に遊びに来てくれと誘い、何日かして自宅に来てもらった。<br /><br />彼は僕がやっている武術の内、形意拳と柳生心眼流に興味を持っていた。<br />まず彼が陳家太極拳と八極拳の型を見せてくれた。<br />僕は、大体こういうときは、太極拳十四勢、金鷹拳の型を１つ２つ、心眼流の１本目、をやって見せるのだが、形意拳や八卦掌はあまり得意ではないので見せない。<br />しかし彼が興味を持っていたので、形意拳の五行拳と連環拳をやって見せた。<br />型を見せ合うのが終わると、Ｔ宮は僕の腕を見て、<br />「形意拳をやり込んでるな。形意拳の勁道に沿って腕の筋が発達している」<br />というようなことを言った。<br />僕は的外れなお世辞を言われたように思って苦笑した。<br />「いやいや、形意拳は得意じゃないよ。それにいつも練習してるのは太極拳と金鷹拳と心眼流や。もっともウチの太極拳は形意拳と八卦掌が合わさってるんやけど…」<br />するとＴ宮は真顔のまま、<br />「そうやろな。だから勁道が形意拳っぽいんや。ただちょっと発達し過ぎや。そんなにガチガチな腕してたら、勁の通りが悪くなる」<br />つまり発勁のためには邪魔になるというわけだ。<br />（そういうもんかな…？）<br />僕は半信半疑だった。<br />腕の筋が発達しているといえば、子供の頃から剣道をやっていたＴ宮だって発達している。<br />それにＴ宮が所属しているこの某会は、体を鍛えるんじゃなかったのか？<br />そんな風なことを返すと、<br />「そうやねん。それに仕事で調理やってたからなおさらでな…。だからオレも今は、腕に力が入らんようにするのに苦労してんねん」<br />というようなことを言っていた。<br />某会が鍛えることとの関係については、どう答えていたのかよく憶えていない。<br />その会も幾つかの拳法をやっているので、少林拳系や南派拳の人が鍛えているのだと答えていたのかも知れない。<br /><br />ところで、“勁”という概念を用いた技術的な説明は、ウチの流派では、僕は受けていない。<br />師匠であるＴ先生の口から“勁”が付く用語が出たことはあっても、便宜上そういう言葉であったり、あるいは、時には知ったかぶりのようなこともあったのかも知れない。<br />何せＴ先生もその頃は20代前半と、若かった。<br />そしてはっきりと、<br />「ウチには“勁”というものは無い」<br />と告げられたのは、一時先生のところに戻ったときだった。<br />それは前述のように、Ｔ宮との交流の少しあとだったので、この時点では、<br />「勁とは何ぞや？」<br />と、まだあれこれ考えていた。<br />今では割とポピュラーな術語になっている感があるが、当時はまだまだ謎だらけだった。<br />ただ、、<br />前にも書いたが、松田さんが紹介した“勁”と、一般化した“勁”が、同じものかどうかは、わからない。<br />一般化した“勁”から察せられる、こなれた動きと放鬆（脱力）から生み出される、一種の“瞬発的な力”は、何も中国拳法独特のものではない感じがするのだが、当時の松田さんが紹介していた“勁”は、それだけで説明できないような、<br />“秘中の秘”<br />であり、謎の力だった（…と、僕は思っている）。<br /><br />その謎だらけの“勁”だが、Ｔ宮はしきりに口に出してくる。<br />「なぁＴ宮。オレんとこの流派では“勁”というような言葉では教えてもらってないねん。お前は発勁教えてもらったんか？　その勁道云々のことも、よかったら話せる範囲でいいから説明してくれへんか？」<br />「うん、ええよ」<br />Ｔ宮はあっさり、承諾してくれた。<br /><br /><< Part2へ続く >><br /><br /><a href="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/img/bujutsuchina80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 中国武術へ" /></a>　<a href="http://fight.blogmura.com/bujutsu/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsu/img/bujutsu80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 武術・武道へ" /></a><br /><a name="more"></a>

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<title>太極拳事情</title>
<description>予定としては、2009年03月20日の記事『隣の芝生』の続きをアップしようと準備中なのだけど、ちょっとその前に…。このところ筋肉の話や“脱力”の話が続いたが、つまるところ太極拳でどう戦えばいいのかが問題だ。筋肉と脱力の関係については、最近は武術系雑誌でも、「筋肉を鍛えると脱力ができないというのは迷信である」という方向になってきているようだ。確か『秘伝』だったと思うが、１～２年前の“筋肉を鍛えよう”というような特集の号で、そのようなことが書かれてあった。まぁ、雑誌等で今までどう...</description>
<dc:subject>太極拳</dc:subject>
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<dc:date>2009-06-01T13:10:53+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
予定としては、2009年03月20日の記事『<a href="http://doyotaichi.seesaa.net/article/115944318.html" target="_blank">隣の芝生</a>』の続きをアップしようと準備中なのだけど、ちょっとその前に…。<br /><br />このところ筋肉の話や“脱力”の話が続いたが、つまるところ太極拳でどう戦えばいいのかが問題だ。<br />筋肉と脱力の関係については、最近は武術系雑誌でも、<br />「筋肉を鍛えると脱力ができないというのは迷信である」<br />という方向になってきているようだ。<br />確か『秘伝』だったと思うが、１～２年前の“筋肉を鍛えよう”というような特集の号で、そのようなことが書かれてあった。<br />まぁ、雑誌等で今までどういうスタンスだったのかはよく知らないが、中国武術や古武術の一部で、<br />「筋肉は邪魔になる」<br />という考えがあったのは確かだろう。<br />（ちなみに、『秘伝』は毎号買っているわけではない。他の武道雑誌や季刊のように出る中国武術雑誌なども含めて、本屋で手に取って、気が向いたら買うといった感じだ）<br /><br />で、とりあえずここでは太極拳に話を絞るが、太極拳をやっている人たちの多くが何故、筋肉を否定し、脱力に拘るのか、大きな理由としては２つだと思う。<br />１つは、太極拳で理想とする、例えば“暖簾に腕押し”のようにいなして相手の自滅を誘うような戦い方には、筋力が必要ないと考えられていること。<br />もう１つは、体内での力の伝達には、一定以上の筋肉があると邪魔になると考えられていること、だろう。。<br />そして、そのために、力をとことん抜くことばかりを模索し、型（套路）や站椿で自己との対話をひたすら繰り返す。。<br /><br />…まぁ、その方法を信じて修行に励んでいる人には、僕は何も言うことはない。<br />ただ、それをおかしいと感じている人、一定以上やっていても実感が得られず迷っている人、などに、ちょっと参考になればという思いで書いている。<br />それはやはり、僕自身が通ってきた道だから。<br /><br />細かいことを言えば、僕が習っている流派では、太極拳だけではなく日本と中国の幾つかの武術を合わせてまとめ上げたような体系で行っているので、他派の太極拳をやっている人と同じ土俵上で話をすることはできない。<br />そして、<br />“気”の武術だとか、“発勁”云々、“用意不要力”諸々…なんて、今では客寄せパンダなくらいにしか捉えていない。<br />だから個人的には、実は、太極拳に特別執着しているわけではない。<br />しかしそれは太極拳をバカにしているのではなくて、みんなが惹かれているのは虚飾の部分で、核となるところは他の武術と特に変わらないと思っているだけだ。<br />そしてまた、<br />太極拳自身も、時代に合わせて変わっていかなければならないと思っている。<br />例えば、太極拳は（他の拳法もそうかも知れないけど）、戦前や、もしかしたら100年以上前の、中国人同士や、対他派（中国）拳法を想定した術理から出来上がっていて、そこから進化していないのでは？…と思ったりもする。<br />今では世界中のいろんな武術・格闘技が広まってきているのに…だ。<br />路上の喧嘩においても、現代人がどんな動きをするか（どんなことを仕掛けてくるか）は、大きく変わってきているだろう。<br />今なら素人でもボクシングやフルコン空手のように構えてジャブやローキックを放ってくることはままあるわけだし、昔ほど“ド素人”丸出しな人が多いわけではない。<br />それに対して、今まで書籍などで解説されてきたような用法がその通りに使えるだろうか…？<br />もしかしたら、隠された部分の理を用いれば、他の格闘技やあらゆるシチュエーションに対しても、対応可能なのかも知れないが、オープンな範囲のテクニックで考えた場合、どうだろうか…。<br />太極拳のオープンなテクニックと言えば、主に順歩突きをどう捌くかという用法と、推手くらいだろう？<br />あとは、多くの人たちが、解らないまま、真理に近づこうとして、型にこだわり、站椿や推手に励んで、“気”や“意念”や“呼吸”や“放鬆”（あるいは“脱力”）を追い求めている。。<br />これって真っ当な“武術”の姿なのだろうか。。<br />文化教室でヨガやストレッチやダンスと同列にやるのは、それでいいけれど。。<br /><br />…で。。<br />今は情報も豊富だし、ネットで動画まで観られたりする。<br />“YouTube”にも太極拳の動画はたくさんある。<br />しかしほとんどは、あまり参考にならない套路、現実的でない用法、一方的に弟子（？）を翻弄して見せている推手…などだ。<br />酷いのになると、例えば双推手などで相手をハネ飛ばすとき、両腕を深く折り曲げて反動をつけていたりする。<br />「それって押してるやん！屈筋やん！まるまる力やん！」<br />と、お笑いバリにツッコミ入れたくなる。<br /><br />何が“気”で、どこが“発勁”やねん。。(^◇^;)<br /><br />まだそれなら、空手の解説等を観た方が参考になるのではないだろうか。<br />以下に紹介する動画は、正道会館の元館長、石井和義氏の解説。<br />周知のように脱税事件などの後、最近はあまりオモテに出てらっしゃらないようだ。<br />この人についても評価は色々あるだろうが、この動画に関しては、僕はなかなか説明も上手くて参考になると思った。<br />ただ、顔面禁止のフルコンルール上での組手テクニックなので、ツッコミどころもないわけではないのだけど、そこはそこなりに考えようもあるだろう。<br /><br />続きや、他の動画も観たい人は、直接YouTubeで検索してもらいたい。<br />ご参考までに。<br /><br /><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/niJSdRe5YGA&hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/niJSdRe5YGA&hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object><br /><br /><a href="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/img/bujutsuchina80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 中国武術へ" /></a>　<a href="http://fight.blogmura.com/bujutsu/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsu/img/bujutsu80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 武術・武道へ" /></a><br /><a name="more"></a>

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<title>脱力と放鬆</title>
<description>“脱力”については、2007年03月21日の記事『脱力と力との狭間の迷路』を始め、今まで何度か触れてきた。一方、“放鬆”（ほうしょう／ファンソン）という言葉は、このブログではあまり使わず、“脱力”と一括りにしてきたのだが、今回はちょっと分けて書いてみる。“放鬆”とは、偏らずリラックスした状態をいう。ほどよく力が抜けていて、剛でも柔でもなく、ニュートラル、中立、中庸…。。その意味で言えば「とことん力が抜けている」状態とは違う。“脱力”の場合も、「とことん抜き去れ！」と教えられる...</description>
<dc:subject>太極拳</dc:subject>
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<dc:date>2009-05-27T23:46:54+09:00</dc:date>
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“脱力”については、2007年03月21日の記事『<a href="http://doyotaichi.seesaa.net/article/36475001.html" target="_blank">脱力と力との狭間の迷路</a>』を始め、今まで何度か触れてきた。<br />一方、“放鬆”（ほうしょう／ファンソン）という言葉は、このブログではあまり使わず、“脱力”と一括りにしてきたのだが、今回はちょっと分けて書いてみる。<br /><br />“放鬆”とは、偏らずリラックスした状態をいう。<br />ほどよく力が抜けていて、剛でも柔でもなく、ニュートラル、中立、中庸…。。<br />その意味で言えば「とことん力が抜けている」状態とは違う。<br />“脱力”の場合も、<br />「とことん抜き去れ！」<br />と教えられるのは指導の一環であって、ただ抜くことそのものが武術における“脱力”ではないだろう。<br />少なくとも僕の解釈としては、<br />最初に「力を抜け」と教えられるのは、余計な“力み”を取り除くためで、「とことん抜き去れ」と言われるのは、自分自身の力みを探って抜いていき、また、相手と触れたとき力の方向を感じ取れるよう、そういった意味合いで訓練する場合のことだ。<br />（“気感”や“意念”との関連はここでは省く）<br />これらは、確かに重要なのだが、どこまでできればいいかという点では終わりのない世界だ。<br />…まぁ、どんな技芸にも終わりはないのだけれど。。<br />ただ、、<br />脱力の意味はそれだけではないし、脱力をどう使うのかという、その先のことも考えれば、ひたすら力を抜くことだけに拘っていると、武術としての全体的な理解を狭めてしまうのではないだろうか。。<br />力を抜くことに拘っている人たちは、いかに力みのない型や推手ができるか、など、そういうことばかりを追い求め過ぎているように見える。<br /><br />また、前項にコメントをくれた“名無しさん”が、<br />「脱力や太極拳で言うファンソンは、そんなに簡単にできるものじゃないんですよ。だから、みんな何年もかけて練習するんです」<br />と書いていたけど、、<br />何も僕は、“脱力”も“放鬆”も否定していないし、簡単だとも言ってはいない。<br />しかし、力まないこと、余計な力を使わないことは、他の武術やスポーツでも重要なことだし、太極拳が特にそれを重視し、さらに奥深いものを持っていても、「力を抜く」「とことん抜き去る」などとばかり言っている人たちが、それより先にあるものを理解しているとは思い難かった。<br />そういった印象から、脱力や放鬆を軽んじているように見える書き方をしてしまったかも知れないが、決してそういう意味ではない。<br />もちろん、本当に理解しているか、していないか、知らないが、僕の印象からそう遠くない人たちは、本来の武術とは縁のないまま何年も過ごしていくのかも知れない。<br />それで、僕としては、<br />３年や５年やっていて迷いや違和感を抱いている人の参考になれば…という思いもあって、僕自身が今よりもっと浅かった頃のことを引き合いに些か問題提起したわけだ。<br />けれど。<br />今の自分の知識や理解を信じている人は、そのまま自分の道を行けばいい。<br />僕だって自分がすべて正しいとは思っていないし、何より、他人が信じて歩もうとする道を阻もうとは思っていない。そんな資格も無い。<br />ただどこかで望んでいる思いとしては、必ずしも同調・同意では無くとも、意見は意見として理解できるような人と交流を持ちたいという気持ちはある。<br />会話が成り立ち、例え考えは対立していても、きちんとキャッチボールができるなら、だ。<br />しかし残念ながら、ネット上にそういう人は非常に少ない。<br />だから僕はここを議論の場にはせず、基本的に判断は読む方々にお委せしている。<br />（※『<a href="http://doyotaichi.seesaa.net/article/30739734.html" target="_blank">はじめに</a>』参照）<br /><br />あと、念のために言っておくけれど、僕は前項にコメントをくれた“名無しさん”に、この項で改めて反論しているのではない。<br />上述のようなことは今までに何度も感じていて、たまたま今回もそういったご意見をいただいたので、一応、補足しておこうと思った次第だ。<br /><br />話を戻そう。<br /><br />この項の最初にも書いたが、放鬆は、とことん脱力した状態ではない（と僕は思っている）。<br />例えば、“立身中正”という身体要領は、一般的な説明でも、頭頂を糸で吊されているようなイメージで、頭頂から会陰（えいん）または尾閭（びりょ）までを真っ直ぐにすることだと言われている。<br />これ一つを取ってみても、カラダを真っ直ぐ保つのに必要な最低限の力は要る。<br />また、指先を伸ばすことで腕の伸筋に少し張りを持たせるが、これも同様だ。<br />他にも、周知のように幾つかの身体要領がある。<br />そしてそれらを満たしつつ、<br />「緩んでいるようで緩んでいない。わずかに力を使っているが、しかし力んでいるのではない」<br />というような状態を作る。<br />これだけでも非常に難しいし、まして、これを表現しながら一通り演武するのは大変なことだ。<br />しかし、それがイコール“強さ”に繋がるかといえば、どうだろうか。。<br />ニュートラルな状態から瞬間的に「力を抜く」「力を入れる（または発する）」を使い分けることができて、実際の動きに乗せることができなければ、技にはならないだろう。<br />そしてまた、<br />型や推手でそういうことが表現できたとしても、やはりそれがイコール“強さ”に結びつくのかどうか。。<br />型も推手も修得方法の一環ではないのか。<br />定規で引いたように姿勢や型の矯正を目指し、いかに力を抜くかを上達の鍵とするのは、それだけでは、どうも無理があるような気がするのだが…。。<br /><br />ちなみに。<br /><br />僕が学んだ太極拳では、脱力や放鬆は、一定のことができてくると、あまりとやかくは言わない。<br />重ねて言うが、軽んじているというわけではない。<br />ただ、陳伴嶺・王樹金系の太極拳は、どちらかと言えば形意拳的で、他派の太極拳とはちょっと違うのだと思う。<br />つまり、身体を緩めたところから“気”や“意念”の流れに添い、手先に向かってムチのように加速させるような打ち方をするのではなく（そういう打ち方もあるが）、基本的には、インパクトの瞬間に骨格を引き締め、強い姿勢を形作って打つ。<br />“剛太極拳”と言われる所以だろう。<br />しかし、同じ系統の太極拳でも、「ファンソン、ファンソン」と言う人たちは、そこを分けていなくて（教えられていなくて？）、先に広まっている一般的な太極拳に合わせてしまっているような気がしてならない。<br />まぁ、武術世界は秘密も多いので、一定以上のキャリアになるまでは、ひとまずそういう風にしか教えてもらえないのかも知れない。<br />そして今、そういう太極拳も、同じ“正宗太極拳”としてある程度普及しているので、その趨勢から見れば、僕が言うことは、同系の太極拳をやっている人からも違和感を持たれてしまうことが多い。<br />まぁ、これについては逆に、<br />僕の方が間違っているかも知れない可能性も挙げておくことにしよう。<br />ただ、、<br />身体を緩めて伸びやかにしならせて打つのと、短い距離からでも打てるように身体を引き締めて打つのとでは、根本的にやり方（力の出し方）が違う。<br />どちらが正しいかはおいて、考えてみるといいだろう。<br /><br /><a href="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/img/bujutsuchina80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 中国武術へ" /></a>　<a href="http://fight.blogmura.com/bujutsu/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsu/img/bujutsu80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 武術・武道へ" /></a><br /><a name="more"></a>

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<item rdf:about="http://doyotaichi.seesaa.net/article/119058341.html">
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<title>筋肉への誤解</title>
<description>子供の頃は、“柔よく剛を制す”とか“小よく大を制す”などの言葉に惹かれても、本当に力が要らないとまで思ってはいなかった。例えば、『柔道一直線』を見て、見よう見まねの背負い投げもどき（他の技名があるらしいがよく知らない）を得意にしていたけれども、体格や力の差が大きいとうまく投げられなかったし、まして、相手が柔道を習っているヤツや、相撲が得意なヤツだったりすると、遊びにせよ組んで勝つことはまず無理だった。所詮、真似事だから一定以上の相手に通じないのは当然なのだが、力のある相手に振...</description>
<dc:subject>太極拳</dc:subject>
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<dc:date>2009-05-10T19:03:58+09:00</dc:date>
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子供の頃は、“柔よく剛を制す”とか“小よく大を制す”などの言葉に惹かれても、本当に力が要らないとまで思ってはいなかった。<br />例えば、『柔道一直線』を見て、見よう見まねの背負い投げもどき（他の技名があるらしいがよく知らない）を得意にしていたけれども、体格や力の差が大きいとうまく投げられなかったし、まして、相手が柔道を習っているヤツや、相撲が得意なヤツだったりすると、遊びにせよ組んで勝つことはまず無理だった。<br />所詮、真似事だから一定以上の相手に通じないのは当然なのだが、力のある相手に振り回され引き倒される怖さは何度も味わって身に染みたものだ。<br /><br />中学生になり、サイクリングや空手で足腰が鍛えられると、走るのが速くなり、走り高跳びで学校一高く跳べるようになった。<br />一方、剣道を少しやったが、腕の力はあまり強くなくて、竹刀で空気を切る音がなかなか出せなかった。<br />竹刀は大体450g前後だ。<br />たかがそんな重さでも、速く振るためにはそれなりの筋力が要る。<br />そして充分な筋力があって、力まない振り方ができる。<br />筋肉モリモリになろうとは思わなかったが、何をするにもある程度の筋力が必要なことは、解っていたはずだった。<br /><br />それが…松田隆智さんに感化されて、太極拳を始めてから、筋力をいつの間にか否定していたのだから、盲信や思い込みというものは恐ろしい。。(^^;<br /><br />ただまぁ…。<br />筋肉に対する誤解というものもあったと思う。<br /><br />同じく中学生の頃だったと思うが、10歳上の義理の叔父が、一時、ボディビルをやっていた。<br />ジムに通って半年以上やっていたらしいが、久しぶりに会ったとき、それまでひょろっと痩せていた体型が一回り大きくなっていた。<br />ナルちゃん入って筋肉自慢。。<br />ところが、それからしばらくすると、ややぽちゃのプチ肥満。<br />「ボディビルなんかアカンわ。やめたらいっぺんに太ってまうぞ」<br />本格的な人のカラダを見て、そこまでなりたくないと思ってやめたら、急に太ってしまったそうだ。<br />今思うと、筋肉が急に減ったわけではなくて、筋トレ中に増えた食事量がそのままだから、脂肪が増えてしまったのだろう。<br />しかしそのときの僕は、<br />１．筋トレをやめると筋肉が脂肪になってしまう。<br />２．筋トレなどで力をつけても、やめればすぐ衰える。<br />…と、思い込んでしまった。<br />もちろん筋肉が脂肪に変わるというのは間違いだ。<br />両者は別々の組織なので、筋肉が直接脂肪に変化するということはない。<br />また、何もしなければせっかくつけた筋肉も力も徐々に落ちていくのは当然だけど、病気や怪我で寝たきりでも無い限りすぐに落ちるわけではないだろう。<br />ちなみに叔父は、元々太る方では無かったらしく、その後は徐々にしぼんで元の体型に戻っていった。<br /><br />ただ、その頃は、<br />筋肉モリモリになって力に頼るのは、武道本来の考えとは異なると思っていた。<br />力がある程度必要なことは解っていても、力で勝つのなら技なんて要らない。<br />それに名人・達人に小男が多いと言われていることの説明にならない。<br />…と。。<br />まぁ、一見。筋道通った考えのようなのだが、明かな見落としがある。<br />それは、力と技は相反するのか、ということと、名人・達人と言われる小男は力が無かったのか、ということだ。<br />そして。<br />大男は動きが鈍そうだし、筋肉モリモリの人は動きが固そうに見える。<br />これらは一般的にもそういうイメージだと思うが、実は何の根拠もないのに、そういう思いから、自分に都合のいい武術観を育てていった。。<br /><br />…要点に入ろう。<br /><br />僕自身の過去の思いを含め、特に中国武術や古武術をやっている人にありがちな、筋肉に対する誤解を幾つか挙げながら書いてみる。<br /><br />『大男は動きが鈍いのか？』<br /><br />大男がスローなイメージがあるのは、普通の人でも女性や子供など自分より小さい者と接するとき力の加減をするように、そういう習慣があるからではないだろうか。<br />また、体を鍛えてもいなくて太っていれば、そりゃ動きが重くもなるだろうが、たまに「俊敏なデブ」を見かけることがあるように、見た目太っている人も含めて、充分な筋力があれば鈍くはないはずだ。当たり前な話だが。。<br />ただ、別項で書こうと思っているが、体が重くなると歩法に影響するようには思える。<br /><br />『筋肉モリモリの人は動きが固いのか？』<br /><br />ボディビルダーの体を見ると、まるで岩のように固く見える。<br />しかし、実は筋肉は、力を入れていないときは柔らかい。<br />格闘技の試合などで、スーパースロー再生されるとき、筋肉が女性のバストのように揺れているのを見たことがないだろうか。<br />筋肉のせいで体が固くなり、動きが固くなる、というのは間違いだ。<br />では何故そういうイメージがあるのかというと、たぶん、ボディビルダーが筋肉を固めた極めポーズを取って見せるため、というのがまずあるだろう。<br />それから、見せるための筋肉と運動に必要な筋肉の違いもあるかも知れない。<br />また、<br />ボディビルしかやっていない人の場合、運動神経がいいとは限らない。<br />筋肉を鍛えた結果、運動能力が幾らか向上しても、元々スポーツなどをあまりやっていなかった人が筋肉モリモリになったからと言って特定の競技まで上手くなるわけではないだろう。<br />だからマッチョな運動音痴が居てもおかしくはない。<br />今では、現実、格闘技選手はみんな、筋肉モリモリでも動きが鈍いわけではないので、そういう誤解をする方がおかしいと言えるだろう。<br /><br />『筋肉を付けると“脱力”ができないのか？』<br /><br />気持ちの緊張で固くなるのは別として、どんなスポーツでも運動中（動いている最中）は力んでいるわけではないので、“脱力”という状態そのものは、誰でも自然にやっていることではないだろうか。<br />また、筋肉を鍛えると力が抜けず、動きが固くなり遅くなるという人が居るのだけど、それなら、陸上競技の短距離ランナーは足を鍛えると走るのが遅くなるのだろうか？<br />プロボクサーは筋トレをしているのに、手が遅いのだろうか？<br />速く動くということについて言えば、筋肉を鍛えた方が速くなるはず。<br />力を抜くことで速く動けるというのは、先ほどのように、緊張などで力みがあるとスムーズに動けないということが一つ。<br />あとは神経的な反応の話で、それ自体は非常にミクロなことだ。<br />“膝の抜き”にしても、自然落下の速度を越えて速く動くことはできない。<br />また、技への応用としては、例えば柔道で組み合ったとき、自分が力を抜くと相手も力が抜けたりするように、意識的に行うことでヒトの生理的な作用を利用するということはある。<br />しかしそれは筋肉が邪魔になるということではないだろう。<br /><br />まー、ありがちな誤解としては、こんなところだろうか。。<br />「あなたの方が誤解している」<br />と言われてしまうのかも知れないが。。<br /><br />ただ、「力は要らない」も、「筋肉は鍛えなくていい」も、それはそれで理屈のあることだから、真っ向から否定する気は無い。<br />…無いのだが、、<br />ベースとなる筋力のことを無視して、力を抜くことで大きな力が発揮できるというのは、おかしな話だ。<br />「相手の力を利用する」というのも、圧倒的な力の差があってできることだろうか？<br />結果的に僕は、筋肉・筋力の重要性を改めて感じるようになったわけだが、それがすべてだとも思っていない。<br />しかし、<br />それまで特にスポーツ経験も無い、あまりにも非力そうな人が、太極拳や中国武術と出会い、自分が出来もしないことを、いっぱしの武術家気どりで、<br />「力じゃない」<br />と言うのは、滑稽を通り越して、哀れにさえ思ってしまう。。<br />自分がそんな中の一人になっていないかということは、時には考えてみた方がいい。<br /><br />もちろん、関わり方は、人それぞれだ。<br />趣味として武術を楽しんでいる人は、何も殺伐とした闘争のことばかり想定して考えなくても、それぞれが思う面白さを味わって続けていけばいいと思う。<br />僕だってプロの格闘家に勝とうとは思っていないし、名人・達人の域を目指しているわけでもない。<br />けれど、本質への理解の妥当性というものはあるだろう。<br />例えば、武術は本来、人を斃すための技術なのだが、「人を生かすためのもの」「自分を磨くためのもの」「人を育てるためのもの」…など、様々な捉え方がある。<br />だが、元々の意味と、自分がどう捉えるかは、別の話だ。<br />「武術は自分を磨くためのものだ」<br />と言うのと、<br />「私は武術を、自分を磨くためにやっている」<br />と言うのとでは、意味が違うだろう？<br />前者は決めつけで、後者は目的の話だ。<br />そういうことも分けられない人が、筋肉に対することもきちんと考えないで、調べもしないで、<br />「武術は力ではない」<br />と言い張るとしたら、そういう人は、その固い頭でこの先何を理解できるのだろう？<br /><br />少なくとも、一定の年齢を越えたいい大人にもなれば、根拠のない盲信や決めつけからは脱却して、判らないことは判らないこととして置いておき、機会があれば考察を繰り返す、というくらいのインテリジェンスは、持つべきだだろう。<br /><br /><a href="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/img/bujutsuchina80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 中国武術へ" /></a>　<a href="http://fight.blogmura.com/bujutsu/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsu/img/bujutsu80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 武術・武道へ" /></a><br /><a name="more"></a>

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<title>技は力の中にあり</title>
<description>太極拳の世界では、“力を使わずに相手を倒す”という考え方が、ごく当たり前に浸透している。他の武術でもそういう考えはあるけれど、僕の知る限り、太極拳がダントツだと思う。技術的に似ていると言われる合気道では、「力は要らないと言っても、ある程度ベースとなる力は必要だ」と、筋トレをする派もあるそうだが、少なくとも日本で行われている太極拳の大半は、筋力否定派ではないだろうか…？僕も昔は、力はそんなに要らないと思っていた。例えば相手が攻撃してくる腕を推手のように逸らせる場合、ゴムマリのよ...</description>
<dc:subject>太極拳</dc:subject>
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<dc:date>2009-05-06T07:40:50+09:00</dc:date>
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太極拳の世界では、“力を使わずに相手を倒す”という考え方が、ごく当たり前に浸透している。<br />他の武術でもそういう考えはあるけれど、僕の知る限り、太極拳がダントツだと思う。<br />技術的に似ていると言われる合気道では、<br />「力は要らないと言っても、ある程度ベースとなる力は必要だ」<br />と、筋トレをする派もあるそうだが、少なくとも日本で行われている太極拳の大半は、筋力否定派ではないだろうか…？<br /><br />僕も昔は、力はそんなに要らないと思っていた。<br />例えば相手が攻撃してくる腕を推手のように逸らせる場合、ゴムマリのような弾力を維持する程度の力は必要だが、腕力で強引に弾いたりするような力は不必要だ、と。<br />まぁ確かに、<br />力任せと言われるような力の使い方や、力むような力の出し方は、必要ないのかも知れない。<br />しかしそれでも、根本的に力が無ければ（筋力が無ければ）、体の芯を作ることはできないし、張りや弾力を維持することもできない。<br />何より、相手をぶっ倒すだけの威力が出せないのではないだろうか？<br /><br />…と、僕は思う。<br /><br />そう思うようになった経緯は今までの記事からも察してもらえると思うが、まだもう少し段階がある。<br />少なくとも僕的には、今よりもっと未熟だった頃に、通用しなかった経験があるからと、手のひら返しに考えをコロッと変えてしまった、というのではなくて、幾つかの事柄を少しずつ複合的に考えて判断した結果なのだ。<br /><br />今の考えを端的に表現するなら、<br />「力はあって力を使わないような力の使い方ができる」<br />とでも言おうか…。（ちょっと観念的かな？）<br />また、<br />『技は力の中にあり』<br />という言葉もある。<br />これは極真空手の故・大山倍達氏の言葉だそうだ。<br />もしかしたら大山さんの場合、プロレスラーと対戦した経験（出来合いの興業だったという説もあるけれど…）や、少なくともそういう大男たちと関わってきた経験から出た言葉なのかも知れない。<br />しかし僕は、<br />「力が無ければ技は生きない」<br />という意味で、含蓄のある言葉として捉えている。<br /><br />…で、ちょっと話が前後するけれども。。<br /><br />僕が、子供の頃に空手をやっていたことは何度か書いた。<br />その空手も、しばらく続けていると疑問だらけになった。<br />これも前にも書いたが、特に極真空手の試合を初めて見たときには、大男同士が腹や胸をどつき合い、我慢比べをしているようで、<br />“力で勝る相手を技で制する”<br />というようなものには見えなくて、少々がっかりしてしまった。<br />そして、それから長年に渡って、極真やフルコン系空手がウリにしている“パワー空手”という言葉さえも嫌いになった。<br /><br />…しかし。<br /><br />力を養うこと、体を鍛えること、は、古来、武術が重んじて来たことだろう。<br />強靱な体と人並みはずれた膂力があってこその技…というのが、本来の、至極当然な考え方であったはず。<br />それを、<br />「特別鍛えなくても、力は無くても、技を習得すれば大の男を倒せる」<br />というような言葉に踊らされる方が、妥当性を欠く考えではないのか？<br /><br />もちろん、技の理というものはあるし、ある程度はそれで通用する部分もあると思う。<br />だが、恵まれた体格に、何らかの武術・格闘技経験があり、並はずれた筋力を併せ持った者が相手なら、どうだろうか…？<br />もし、名人・達人と呼ばれる人がヘビー級のプロ格闘家に勝てたとしても、そんな域に達していないひょろひょろ体格の修行者には、無理だろう。<br />それに武術の世界は秘密も多い。<br />３年、５年とやっていても、他の武道や格闘技なら当たり前に教わっているような技のコツさえ教わっていなくて、うまく使えない場合もある。<br />そんなことならもう少しシンプルな攻防技術を、筋トレと合わせてやった方が確実なのは自明の理だ。<br /><br />また、古の沖縄空手では、特殊な練功法や道具が秘伝になっていたと聞く。<br />打たれ強くなり、攻撃の威力を増すための方法。<br />それはつまり、“技”のために必要なカラダになることだ。<br />昔は、筋トレと言っても、普通の人は、重たいものを振ったり持ち上げたりするくらいしか思いつかなかったかも知れない。<br />だからこそ先人の工夫が秘伝だったのだろうけど、今は様々なスポーツ分野で人体やその動きに必要な筋肉が研究されている。<br />そういう意味では、近代的な筋トレ法を取り入れた極真空手は、非常に画期的だったのかも知れない。<br />穿った見方をすれば、もしかしたら、、<br />大山さんは古流の鍛え方をご存知なく、若木竹丸氏との出会いもあって、そういう方法に至ったのかも知れないが、だとしてもその工夫は評価すべきだという気がする。<br /><br />そして、もう一つ言いたいことだが。<br /><br />鬆腰（ファンソン）を重視した套路や瞑想式の站椿を重んじる人も、それらの習熟と積み重ねを大切に思っているだろう。<br />もちろんそれは間違いではないと思う。<br />しかし、力も、簡単にはつかないし、地味で苦しい積み重ねなのだ。<br />以前、僕が、<br />「力も必要ですよね」<br />程度に話すと、のっけから意外なほど拒否反応を示した人が、<br />「私などが今さら筋トレしたとて、大して力はつかないと思います！」<br />と返してきたことがある。<br /><br />…そりゃそうさ。<br />そう簡単に力がつくなら、誰も苦労はしない。。<br /><br />中学のときに空手の道場に通い始めて、しばらくして、突きが風を切る音が出るようになり、成長期だったこともあって、最初は見る見る体が変わっていく実感があった。<br />そして10代の頃の僕は、並みの人よりは筋肉質で、力もある方だったが、どんどん筋力が増し続けていたわけではなかった。<br />それどころか、やらなくなれば衰える。<br />積極的に力の鍛錬などしていなかったので、武術を再開したばかりときの僕は、ごくフツーの中年のおっさんだった。<br />今だって大した力はない。<br /><br />そして、まぁ…僕の場合、ガンガン体を大きくしようとは思っていないが、ガンガン大きくしたい人も、実は簡単にはなかなか大きくなれない。<br />体質的な例外や、脂肪も含めて（つまり太るという意味で）大きくなることはできても、筋肥大を繰り返して見る見る筋肉を成長させるということは、難しいのだ。<br />日々の鍛錬により時間をかけて、<br />「すごい力」<br />を持てたとしたら、それ自体が立派な“技”と言えるのではないだろうか。<br />また、そういうカラダでこそ、身法も、脱力も、攻防の技も、生きるのではないだろうか。<br /><br />それでもやっぱり、筋肉は邪魔になるとか、体が固くなるとか、脱力できなくなるとか思っている人には、理解できないことだろうけど。。<br /><br /><a href="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/img/bujutsuchina80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 中国武術へ" /></a>　<a href="http://fight.blogmura.com/bujutsu/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsu/img/bujutsu80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 武術・武道へ" /></a><br /><a name="more"></a>

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<title>脱力とか緩急とか</title>
<description>前項と同じ頃、同い年の２人と知り合った。九州から出てきていたＭ、四国から出てきていたＴ山。それぞれ専門学校や大学を休学して、バイト生活。３人とも、色んなことがうまくいかない中で酒を覚えて飲み歩いていたのだが、偶然飲み屋で知り会って意気投合、毎日連むような仲間になった。前に北新地での喧嘩話を書いたときの“新地仲間”だ。（※2008/05/15『２つの突き Part 3』参照）この内、Ｔ山は極真空手経験者だった。彼は愛媛出身で、10代のとき松山の芦原会館に通っていて、茶帯だったそ...</description>
<dc:subject>徒然エッセイ</dc:subject>
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<dc:date>2009-04-13T07:42:30+09:00</dc:date>
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前項と同じ頃、同い年の２人と知り合った。<br />九州から出てきていたＭ、四国から出てきていたＴ山。<br />それぞれ専門学校や大学を休学して、バイト生活。<br />３人とも、色んなことがうまくいかない中で酒を覚えて飲み歩いていたのだが、偶然飲み屋で知り会って意気投合、毎日連むような仲間になった。<br />前に北新地での喧嘩話を書いたときの“新地仲間”だ。<br />（※2008/05/15『<a href="http://doyotaichi.seesaa.net/article/96751579.html" target="_blank">２つの突き Part 3</a>』参照）<br />この内、Ｔ山は極真空手経験者だった。<br />彼は愛媛出身で、10代のとき松山の芦原会館に通っていて、茶帯だったそうだ。<br />しかし２年以上ブランクがあるようなことを言っていた。<br /><br />芦原会館と言えば、漫画『空手バカ一代』にも“ケンカ十段”として登場した故・芦原英幸氏の道場だった。<br />中学のときに大阪球場（※注１）に極真の大阪支部が出来て、しかもそれが芦原さんの道場だということで話題になったが、松山の方が先だったようだ。<br />結局僕は他の空手道場に通うことになったのだが、もし大阪芦原支部に入門していたら、Ｔ山とも同門だったかも知れない。<br />そんなこともあって親しみが湧いて、最初は武道の話ばかりしていた。<br /><br />酒を飲みながら座ったまま手を交えたり、何度かは外で軽い組手をやったりした。<br />ただ正直、Ｔ山はあまり上手くはなかった。<br />ブランクの間に体が固くなり、僕ほど固くは無いまでも、極真らしい豪快な蹴りでは無くなっていた。<br />蹴りなら兄弟弟子のＫ阪さんの方が数段上手かった。<br />「お前、極真から蹴りを取ったら何があんねん」<br />なんてからかったりしたが、Ｔ山はいつも気さくに笑っていた。<br />しかし、最初は乗り気だったＴ山だが、しばらくするとトーンダウンしてきた。<br />あるとき、いつものようにふざけて軽く手を交えていたら、すぐにやる気が失せた感じになったので、<br />「どうした？」<br />と聞くと、<br />「hide、お前の受けは痛いんぞ。何でそんなに痛いんぞ？　お前は痛ないんか？」<br />と、苦い顔になった。<br />僕はどれも軽くパシッと受けた程度のつもりだったので、ちょっと驚いた。<br />「え？　マジ！？　オレ、軽くしか受けてないぞ？」<br />「マジや。お前の手で受けられると痛い。何でやろな？　オレにも軽く受けてるようにしか見えんのに…」<br />空手の組手ではもっとバシバシ受けることもあるのに、フルコンの代表たる極真経験者のＴ山からそんな言葉が出るとは意外だった。<br /><br />とは言え、実は思い当たることが無いわけではなかった。<br />以前、『<a href="http://doyotaichi.seesaa.net/article/36964275.html" target="_blank">初めての気づき</a>』（2007/03/27）という記事を書いたが、そのときに気づいたもう一つの要領として、“脱力”があった。<br />もちろん先生からも、太極拳をはじめとして、<br />「力を抜く方が力が出る」<br />と教わってはいた。<br />が、それは実感としてなかなか解らなかった。<br />ただ、肘や肩の使い方に気づいたとき、腕を振る動作は当然、力を抜いて行うのだが、動作が完成するときは、いわゆる“極め”の姿勢がびしっと決まるように力を入れると、しっくり来る感じがした。<br />空手でも同じだと思うが、メリハリをつけるわけだ。<br />突きで言えば、相手に投げつけるように出して、インパクトの瞬間に姿勢を完成させて極める、というように。<br /><br />太極拳では、全体的にユックリなので急激なメリハリは無いが、緩急は意識する。<br />余所では力を抜き去る要領で行うばかりかも知れないが、ウチでは、力の使い方も意識する。<br />そして、形意拳や金鷹拳は、メリハリのある動作を行うので、僕はある時期から表現を自分なりに工夫していた。<br />言い換えれば、弛緩と緊縮。<br />あるいは、脱力と注力。<br />緩急・メリハリを使い分ける。<br />だから受けるときも、軽くヒュッと出すだけだが、合わさる瞬間に関節を固定するように筋肉を絞っていた。<br />それだけのことだが、少なくともＴ山が苦い顔をするほどには効果があったわけだ。<br />もちろん、相手が痛がるような受け方をしてやろうと、わざとやっていたわけではないのだが、そういう動きになっていたということだ。<br /><br />思うに、こういうのはやはり型の反復の中で培われたわけで、今の僕が幾らか型を否定的に見るところはあっても、すべてが無駄とは思わない。<br />やり方にもよるし、工夫にもよる。<br />体をどう使うかを養ったり、どんな風に動こうかとイメージしたり、そういう訓練を１人で出来るという面では、型はいい稽古方法だと思う。<br />…まぁ、型のことはそのうちまた、改めて。<br /><br />で、このときの脱力には課題もあった。<br />脱力は重要な技術の一つなのだが、脱力そのものの状態は弱い。<br />だからこそ太極拳や合気道では相手の力に逆らわずに流すのだと言われるかも知れないが、現実そう簡単ではない。<br />では脱力は、強い力を出すための予備的なものなのか？<br />と、迷った。<br />この世界、使える人がどう使っているのかが判れば、それを目指して修練すればいいのだが、細部を隠していて、はっきりとした言葉でなかなか教えてもらえないから、難しい。。<br /><br />それからまたあるとき。。<br />３人でキタ（梅田）に遊びに出たとき、夜中に映画館の前を通りかかって、Ｔ山がふざけて、ポスターが貼り付けてあるベニヤ板を殴った。<br />「痛ッたぁ～！」<br />結構分厚い板だった。<br />薄いベニヤ板なら誰でも簡単に突き破れるが、ベニヤ板というのは薄い板が木目違いに何層も貼り合わされているので、少し厚くなると強度が格段に増してくる。<br />まぁ、そのときにそんなことを考えたわけではないけど、とにかくＴ山はなめてかかって失敗してしまった。<br />おまけに拳をすりむいて血が滲んでいた。<br />「ははは。Ｔ山も大したことないな！」<br />「だったらhideやってみろや！ベニヤやと思ったらえらい固かったぞ！」<br />「いやぁ、Ｔ山が無理やったら、オレも無理やろ」<br />と言いつつ、殴ってみると、<br />バコッ！<br />と音を立てて、ほぼ拳大に板が陥没した。<br />Ｔ山は目を丸くして驚いて、割れたところを確かめた。<br />僕も我ながら驚いた。<br />拳は無傷で、あまりにも気持ちよく割れたため痛みもまったく無かった。<br />喜んでいたら、一緒にいたＭに、<br />「お前ら何やってんねん！　見つかったらどうすんねん。犯罪やぞ！」<br />と怒られてしまった。<br />（よい子は真似してはいけない）<br /><br />このとき僕は、組手で受けると相手が痛がったのも、思ったより拳に威力があったのも、太極拳や金鷹拳の型の反復で、少しずつ何かが目覚め始めてるのかも知れないと思ったりした。<br />まー合っている部分もあり、勘違いもありだ(笑)<br />確かに、突きが上手くなり、体の使い方が解り、力の使い方が解り…という部分はあっても、結局、板を割るのに充分な力を出せて、それに耐える拳の強度が無ければ、割れないだろう。<br /><br />拳も、鍛え続けていないとヤワになる。<br />利き手を大怪我して、だいぶ回復してからだが、割れると思う板を叩いてみて割れなかったことがある。<br />そのときはＴ山のように拳をすりむいてしまい、さらに大きく腫れ上がってしまった。<br />ブランクで下手になってしまっていたことや、拳をかばう意識があって板を割るのに充分な伝達ができなかったせいもあるだろうけど、最も感じたことは、拳が弱くなっていることだった。<br />このことは拳に限らない。<br />体の使い方が少々上手くなったところで、体そのものがヤワでは意味がない。<br /><br /><br />■注釈の説明<br />注１：昔、南海ホークス（現ダイエーホークス）が本拠地とした球場。現在は「なんばパークス」という複合施設になっている。<br /><br /><a href="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/img/bujutsuchina80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 中国武術へ" /></a>　<a href="http://fight.blogmura.com/bujutsu/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsu/img/bujutsu80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 武術・武道へ" /></a><br /><a name="more"></a>

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<title>パンチングマシン</title>
<description>21～22歳の頃、小・中学校の間住んでいた町に戻って、独り暮らしを始めた。たぶんその頃だが、Ｈ山と街でバッタリ会った。前に２対１の喧嘩の話に登場した、同じ高校のＨ山だ。彼は日本拳法をやっていて、日拳部にお邪魔した話も書いた。偶然会った場所は、梅田の駅前第２ビルの地下だった。ここは大阪（梅田）駅前付近にあるビルで、第１ビルから第４ビルまで（安易なネーミング(笑)）大きなビルが４棟連なっていて、地下にいろんな店が入って地下街を形成している。ただ第１、第２は、当時はまだあまり活気が...</description>
<dc:subject>徒然エッセイ</dc:subject>
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<dc:date>2009-03-31T06:00:39+09:00</dc:date>
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21～22歳の頃、小・中学校の間住んでいた町に戻って、独り暮らしを始めた。<br />たぶんその頃だが、Ｈ山と街でバッタリ会った。<br />前に２対１の喧嘩の話に登場した、同じ高校のＨ山だ。<br />彼は日本拳法をやっていて、日拳部にお邪魔した話も書いた。<br /><br />偶然会った場所は、梅田の駅前第２ビルの地下だった。<br />ここは大阪（梅田）駅前付近にあるビルで、第１ビルから第４ビルまで（安易なネーミング(笑)）大きなビルが４棟連なっていて、地下にいろんな店が入って地下街を形成している。<br />ただ第１、第２は、当時はまだあまり活気が無くて、シャッターも多く、シケた場所だった。<br />繁華街とはいえ些かへんぴな場所で会って、お互い目を丸くした。<br /><br />記憶に間違いなければ、彼は専門学校を卒業後、アーティスト集団のようなサークルに入って音楽や演劇の活動を行っていたのだが、日本拳法も続けていたと思う。<br />確か、道場に通うようになって、二段か三段を取得したとか…だったような。。<br />そして彼と話しながら歩いていて、ふと、同じく地下街にあるゲームセンターで、パンチングマシンに目が止まった。<br /><br />パンチングマシンは僕らの少年時代にもあったが、昔はボクシングの吊り下げ式のパンチングボールを叩いて、それが計測器に当たって数値が出るという方式のものだった。<br />コインを入れ、ボールを下に引っ張って、吊ってるチェーンを伸ばす。<br />そしてボールを思いっきりぶっ叩いて計測器に当てるわけだ。<br />計測されるとチェーンは元に戻る。（２回１セットだったかな…）<br />小・中学生の頃、隣の学区近くに個人経営の小さなゲームセンターがあって、店先にあるパンチングマシンで悪ガキたちがランキングを競い合っていた。<br />時には賭けたりしながら。。<br />時には隣地区のヤツと喧嘩になったりしながら。。<br />道の端まで行って、そこから駆け寄ってきて、ドカァ～んッ！<br /><br />Ｈ山と一緒に見たのは、回転焼きみたいな丸くて厚みのあるクッションに柄がついたヤツだ。<br />ぶっ叩くとそれが倒れ込んで計測される。<br />このかたちのパンチングマシンが登場したのは、これより数年前だったと思うが、一時流行っていて、繁華街でよく若い連中が道の端から走ってきてぶっ叩いているのを見かけたものだった。<br />昔から、やることは大して変わらない。。<br /><br />「懐かしいなぁ。やってみようぜ！」<br /><br />…が、地下街の通路は狭い。<br />いやそれよりも、僕らは武道をやっている身。<br />ふざけてやるのも面白いが、せっかく再会してそういう話をしているとき目に止まったのだから、実戦的な動きを想定して計測してみないと意味がない。<br /><br />この当時のパンチングマシンは、記憶の限りだが、一般的な中肉中背の成人男性が勢いをつけて踏み込んで叩いて、100kg出るかどうかだったと思う。<br />前述のように走ってきて叩き込めば150～160kgくらいは出たが、200kg以上なんてまず見たことが無かった。<br />もちろんゲーム機なので、どれほど正しい計測なのかはわからないのだが、まずはこれを頭に入れて想像の目安としてもらいたい。<br /><br />Ｈ山は、軽くステップを踏んでリズムを調整すると、身をかがめ３～４歩の距離から摺り足で滑るようにスイスイ近づき、踏み込んで、<br />ズバーンッ！<br />という音を響かせて叩いた。<br />高校時代によく見た、懐かしい動きだ。<br />140kgほど出た。<br />（おお、凄い…！）<br />正直そう思った。<br />ヒュッという感じの素早い腕の振りで、その軽快な動作からは信じられないほど、重たいクッションが勢いよく倒れ込んだ。<br />こんなパンチをまともに喰らったら一瞬でＫＯだろう。<br />…ただ、、<br />Ｈ山は軽いステップを踏んで上体を左右に振り、それを予備動作として、思い切り体重を乗せて踏み込んでいだ。<br />それが動いている相手に当たるかと言えば、難しいだろう。<br />しかしだからと言って、パンチングマシンを道の端から何メートルも走ってきてぶっ叩いているヤツとは比べものにならない。<br />当然ながら、決してそんな見え見えの大振りではない。<br />フツーに組手やスパーリングの距離だし、当たる可能性のあり得るパンチだ。<br /><br />僕も軽くステップを踏んで打ってみた。<br />しかし彼より20～30kgも低かった。<br />どうも彼に比べて、足腰が充分に使えていない。。<br /><br />「Ｈ山、今度はもっと短い距離で打ってみようぜ」<br />「…と言うと？」<br />「さっきのだと、距離を取ってるところから入っていって出してる感じだろ。でも喧嘩のときって50～60cmくらいの距離から急に始まるときあるやん。そういうときに出せるパンチって意味でさ」<br />「う～ん…確かに。そういうの考えたことなかったな。hide、先にやってみてくれよ」<br /><br />僕は予備動作を無くし、定位置、ステップ無しで、拳の振りは30cmほどで突いた。<br />あまりいい音も鳴らず、80kg弱…。<br />「お、凄い！」<br />Ｈ山が声を出した。<br />「全然凄くないやん！これで100kg以上出せたらなぁ…」<br />「いや凄いよ。今の動きで何でそんなに出せるんや？」<br />Ｈ山が同じようにやると、慣れない動きのせいで、さっきとは逆に僕より20～30kg下回った。<br />「くっ…。見てみろや！」<br />「はははっ」<br />「もっぺんやらせてくれ。でも今のは無理やからオレのやり方でやらせてや。距離的にはhideと同じくらいで打つから！」<br />今度は、的に向かってやや斜めに立ち、軽くリズムを取り、さっきよりずっと小さな動きで、腰のバネを効かせる感じでフック気味に打った。<br />ズバーンッ！<br />またもや小気味いい音。<br />確か、100kg前後。軽く出た。<br />動きも小さいし、速い。<br />ボクシングや打撃系の格闘技でよく見る動きだが、これなら先制パンチとして使えそうだし、他にも例えば、相手のパンチを避けた瞬間に軽く腰を落としてすぐさま反撃するなど、応用できそうだ。<br /><br />この当時、中国拳法は、ほとんどの技が交叉法だとか、１の拍子で受けと攻撃を行うから速いとか、言われていたけど、考えてみれば動きがワンツーだから遅いとは限らない。<br />相手のリズムに乗れていなければ、あるいは、一瞬の意識のズレがあると、来るとわかっていても避けられない場合がある。<br />また、現代空手（特にフルコン）、日本拳法、格闘技などの世界では、手技はボクシングスタイルに近くなっている。<br />ボクシング自体は言うまでもなく、こなれた人のパンチは速い。<br />そして充分な威力を持っている。<br />型だけで重心移動だの気の鍛錬だの自己との対話だのと言っている人より、普段ミットやサンドバッグを叩いている人の方がずっと威力があると思う。<br />何より、お互いに動きながら攻撃を出し合うことに慣れている。<br />もしＨ山と本気で対峙したら、彼の動きを捉えきれるだろうか。<br />彼に素手で殴られたら…と想像すると、怖いと思った。<br /><br />中国拳法を使えない人の間違いは、高級な打撃法や技法を追い求めて、身近で当たり前な方法論に目を背け過ぎているところにあるのではないだろうか…。<br />（僕自身のかつての姿でもあるのだけど…）<br />もちろん、武術で言うところの、様々な人体破壊の方法論はあるにしても、最も単純明快な話、例え素人のパンチでも、顔面にまともに当たれば、効く。<br />それを、人体の６～７割は水だとか、関節云々、急所云々、言ったところで、体格のいい相手と路上で喧嘩になったとき、いきなり飛んで来るゲンコツや蹴りをどう捌くかということも処理しきれなくて、高級技法諸々など使えるはずがない。<br />もちろん、できないから、習い、修行する。<br />難しいから修練するわけだ。<br />しかし当たり前なことに目を向けないまま高みにだけ手を伸ばしていて、本当にいつかそこに手が届くのだろうか…？<br /><br />たかがパンチングマシンと言えども、Ｈ山を見てとても参考になった。<br /><br />ちなみに。<br />最近知ったのだが、これよりずっと後の世代のマシンには、パンチ力が何百キロとか何トンとか、ざらに出るものもあるらしい。<br />幾らなんでも、仮面ライダーじゃあるまいし、実際のパンチ力がそんなにあるはずがない。。(笑)<br />Ｋ－１が流行り始めた頃、選手たちがＴＶ番組でパンチングマシンを叩いたり蹴ったりしていたのを見たことがある。<br />そのとき、ヘヴィ級の選手たちは皆、パンチで300kg以上、蹴りで500kg以上出していたように思うが（うろ覚えだけど）、僕はただただ驚いて見ていた。<br />なのに素人が何百キロやら何トンやら出せるマシンって…(笑)<br />そして、そのＫ－１選手たちが叩いていたマシンも、やはりしょせんはゲーム機だし、計測の仕方や数値は異なる。<br />大袈裟に上乗せされた数値ではないまでも、信頼できる数値とは限らない。<br />もちろん僕らとは比べものにならないパワーであることは確かだけど。。<br /><br />でも、素朴な疑問。<br />僕らが叩いたマシンだったら、どれくらい出たのだろうか…。<br /><br /><a href="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/img/bujutsuchina80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 中国武術へ" /></a>　<a href="http://fight.blogmura.com/bujutsu/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsu/img/bujutsu80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 武術・武道へ" /></a><br /><a name="more"></a>

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<title>隣の芝生</title>
<description>入門して数年の頃、龍清剛氏の『鉄砂掌―中国拳法・秘伝必殺』（1983年・日東書院刊）という本が出た。著者を始め厳つい弟子たちが、鍛えられた肉体や凄まじい発勁写真を披露していた。この本、残念ながら買って間もない頃、人に“借りパク”されてしまい、手元に残っていないのだけど、「鍛えもせずに強くなろうなどという幻想を抱くな」というようなことが辛辣に書かれてあったのが印象に残っている。ただ、写真はにわかには信じがたく、ケレン味を感じる部分もあったのだが、だからといって一概にインチキとも...</description>
<dc:subject>徒然エッセイ</dc:subject>
<dc:creator>hide</dc:creator>
<dc:date>2009-03-20T13:30:15+09:00</dc:date>
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入門して数年の頃、龍清剛氏の『鉄砂掌―中国拳法・秘伝必殺』（1983年・日東書院刊）という本が出た。<br />著者を始め厳つい弟子たちが、鍛えられた肉体や凄まじい発勁写真を披露していた。<br />この本、残念ながら買って間もない頃、人に“借りパク”されてしまい、手元に残っていないのだけど、<br />「鍛えもせずに強くなろうなどという幻想を抱くな」<br />というようなことが辛辣に書かれてあったのが印象に残っている。<br />ただ、写真はにわかには信じがたく、ケレン味を感じる部分もあったのだが、だからといって一概にインチキとも言えない。<br />中国武術の入門書といえばどれもあまり代わり映えしなかった中、正直言ってその頃の僕らには衝撃的だった。<br />当時の兄弟弟子、Ｋ阪さんは、<br />「hideくん、アレどう思う？　あんなんオレらが今やってること続けてて、オレらもできるようになるんやろか？」<br />と、何度か話題に出して首を捻っていた。<br />その頃の僕は、他派への対抗意識だけで、<br />「さぁ、どうでしょうね。どうせ写真やから何かトリックでもあるんでしょう」<br />と返していた。<br />しかし内心は、ああいうのが本当で、ウチでやってることなんて大したことないんじゃないか？…と不安にもなった。<br />もちろん、<br />ウチの流派で教わっていることは、それはそれで納得していたし、仮に『鉄砂掌』の内容がすべて本当でウチより高度だとしても、今のことさえあまり上手く出来ないのに高望みしてもしようがない。<br />僕自身は、そんじょそこいらの有段者にひけを取らない強さは身につけたかったが、超人を目指していたわけではないから、機会があれば乗り換えたいと思うほどの渇望もなかった。<br />…が、気にならないといえば嘘だった。<br /><br />この少し前に、映画『少林寺』（1982年）も公開されていた。<br />主演はジェット・リー（当時は李連杰＝リー・リンチェイ）で、彼のデビュー作だ。<br />考えてみれば僕も兄弟弟子たちも、中国拳法を志した原点はブルース・リーやジャッキー・チェンだった。<br />２人ともすごい体（鍛えられた体）をしている。<br />しかし松田隆智さんに影響を受けてからは、北派拳法、ことに内家拳は筋力を必要としないという幻想に陥り、<br />「ブルース・リーやジャッキー・チェンは南派拳法だから…」<br />と考えるようになった。<br />しかし、すごい体なのはジェット・リーだってそうだ。<br />彼は北派拳法をやっているのではなかったか…？<br />「筋力は要らない」「筋肉は邪魔になる」って一体…！？<br />そう迷い始めたときに、『鉄砂掌』だ。。<br />そして、<br />それからしばらくすると、ウチの流派でも筋力トレーニングを行うようになった。<br />ますます混乱。。(笑)<br /><br />…まぁ、そんなこんながあるうちに、僕は、前にも書いたような事情で道場を一旦離れてしまった。<br />でも拳法への熱が冷めたわけではなかったので、何年かは、多少頻度は落ちても、練習は続けていた。<br /><br />その後出た本では、陳孺性氏の『太極拳の科学』（1984年・愛隆堂刊）、『陳式太極拳戦闘理論』（1985年・愛隆堂刊）、近藤孝洋氏の『原説・太極拳－気功と太極拳の原点』（1988年・愛隆堂刊）などが面白く、当時の僕には参考になった。<br />同じく近藤孝洋氏の『極意の解明－一撃必倒のメカニズム』（1992年・愛隆堂刊）を読んだのは、発行年よりずっと後だった。<br />また、後で知ったのだが、このお二人は前述『鉄砂掌』龍清剛氏の門下だそうだ。<br />ちなみに、<br />龍清剛氏主催の団体は“双龍会”（正式には“双龍拳法総会”？）といい、所在が兵庫県だったせいか、この門とは幾らか縁があって、ウチの流派の長であるＳ先生のところにその当時習いに来ていた某さんも所属していたそうで、その人も本を出している。<br />また、僕の友人で過去記事に登場したＴ宮も、いつの間にかここで学んでいて、20代半ば頃に情報交換したことがある。<br /><br />それから、陳孺性氏の２冊目の本と同じ頃、呉伯焔氏の本が出始めた。<br />『真法八極拳』（1985年・ベースボール・マガジン社刊）を始めとする何冊かの著書があるが、どれとどれを読んだのか、はっきりと憶えていない。<br />呉伯焔氏は何かと悪評が多いのだが、当時の僕は面白く読ませてもらった。<br />特に、松田さんが紹介する程度で濁していた打撃訣（？）の「気」「血」などについて詳しく解説しているのには驚いた。<br />それまでの僕にとっては謎のままだったことが少しスッキリして、その先を想像するヒントになった。<br />また、牛の血で青酸カリを作る方法（だったっけ？）などはマユツバな気がしたけど、髪を細かく刻んで服用させ暗殺する方法とかは、もしかしたらありそうで面白かった。<br />解説写真は、となると・・・。<br />でもそれは呉伯焔氏の本に限らない。<br />まぁ、どの本だったか、弟子の１人が、演武か組手を行っている写真に、<br />「あまりの速さに手がぶれて写っている」<br />というような注釈が書かれてあったのには、ちょっと電波なものを感じてしまったが…。<br /><br />その後、雑誌『武術（うーしゅう）』の編集長と中傷合戦になったりした頃から、呉伯焔氏の本も『武術』も買わなくなってしまった。<br />事の顛末は気になっていたのだけど、個人的に色々あったし、『武術』も内容が面白くなくなっていた。<br />ネット上に流れている情報によると、何やら『武術』側が呉伯焔氏の経歴や武術歴を暴露して、嘘つき武術家の烙印を押してとどめを刺したような結末だそうだ。<br />その後の呉伯焔氏は、脳を病んだとかの噂もあるけど、真偽のほどはわからない。<br />最近になってお弟子さんがＤＶＤを出しているようなので、活動を続けてらっしゃるのかも知れない。<br /><br />…まぁ、とにかく。。<br /><br />上記諸々の書籍が出回っていた頃、まだ知らないことが幾つも出てきて、少しばかり自分が学んでいるものに対して懐疑的になった。<br />写真を見ると今一つ納得できないにしても、色んなことが他の流派に伝わっていることを思うと、今の流派でもっと先のことを学べるのか、わからなくなった。<br />自分が今どのあたりに居るのかも。。<br />またその後、大陸系の老師から学ぶ人たちも増え、陳家太極拳も八極拳もめずらしくなくなっていった。<br />そういう時期、僕は個人的な事情で道場を離れてしまった。<br /><br />中国武術を学ぶ人が増え始める中、今やってることさえうまくできなくて疑問だらけ、他派には目移りしそうになる、だからと言って写真を見ると・・・。<br /><br />結局、どこまで習えるかも含めて、<br />「オレには使えるようになれないのかもなぁ…」<br />などと思った。<br />１人になってしまって、そういう思いはその後もしばらく続いた。。<br /><br /><a href="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/img/bujutsuchina80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 中国武術へ" /></a>　<a href="http://fight.blogmura.com/bujutsu/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsu/img/bujutsu80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 武術・武道へ" /></a><br /><a name="more"></a>

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<title>窮屈な崩拳</title>
<description>昨年12月の記事で、形意拳の達人“郭雲深（かく・うんしん）”について触れた。（※2008/12/12『王樹金站椿』参照）そのとき大雑把に、郭雲深は100年くらい前の人物だと書いたが、もう少し正確には1820年～1901年頃（推定）で、約190年前から100年ちょっと前までの人物だ。時代的には、アヘン戦争（1940年）の頃には20歳で、日本の幕末期（概ね1853年から1869年とされる）には30代前半から40代後半、日清戦争（1894年7月～1895年4月）のときにもまだ存命で...</description>
<dc:subject>中国武術</dc:subject>
<dc:creator>hide</dc:creator>
<dc:date>2009-03-15T19:33:44+09:00</dc:date>
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昨年12月の記事で、形意拳の達人“郭雲深（かく・うんしん）”について触れた。<br />（※2008/12/12『<a href="http://doyotaichi.seesaa.net/article/111094490.html" target="_blank">王樹金站椿</a>』参照）<br />そのとき大雑把に、郭雲深は100年くらい前の人物だと書いたが、もう少し正確には1820年～1901年頃（推定）で、約190年前から100年ちょっと前までの人物だ。<br />時代的には、アヘン戦争（1940年）の頃には20歳で、日本の幕末期（概ね1853年から1869年とされる）には30代前半から40代後半、日清戦争（1894年7月～1895年4月）のときにもまだ存命であったことになる。<br />ちなみに、王コウサイ（1886年～1963年）は郭雲深の閉門弟子（最後の弟子）とのことだが、師事したのは少年時代で、郭雲深が亡くなった年でもまだ15歳だ。<br /><br />さて、その郭雲深。<br />「半歩崩拳、あまねく天下を打つ」<br />と賞賛されたように、“崩拳”という中段突きを得意として、無敵を誇ったと言われている。<br />敵と対峙したら軽く進んで崩拳一拳を突き込むのみで勝利したそうだ。<br />一体どうすればいち早く当てて相手をぶっ倒すことができるんだろう？<br />しかも上段ではなく中段…！？<br /><br />入門して間がない頃、正宗太極拳を学びながらも、金兵衛先生の『中国秘伝 形意拳』（1986年・愛隆堂刊）や松田さんの『中国拳法 形意拳入門』（1979年・日東書院刊）を何度も見て想像をめぐらせたものだった。<br />また、形意拳を直接教わる前から、これらの本を見て、太極拳の要領を生かして予習しようとしたりしていた。<br /><br />先に当てるという意味では、一応の理屈がある。<br />昔習った初歩的な理合いはこうだ。<br /><br />敵と対峙して、お互いが少しでも前に動けば届く距離で、まだ何もしていない（構えてもいない）状態を考えたとき、最も短い距離で到達できる手技は中段突きであるというのが、まず一つの考え方。<br />その理屈では、相手が上段を攻撃して来ても、ほぼ同時に手を出したとすれば、こちらの中段突きの方が先に当たるというわけだ。<br />そして中段対中段の場合、相手の突きを上から制するようにして自分の拳を突き込み、もし自分の方がやや遅れて、交叉する手が下になっても、相手の突きを逸らすようにして突き込む、というわけだ。<br />「…なるほど」<br />教わった当時の僕からすれば、想像を少し前進させる道筋になった。<br />もちろん、その理屈通りにできるのかは半信半疑だったし、威力の問題もあったが、まずは「先に当てる」ということに主眼をおいてみた。<br /><br />伝え聞くところによると、郭雲深は、ただ相手にスタスタと歩み寄って一発喰らわして去るといった感じで、まるで一方的に突いているようにしか見えなかったという。<br />…と、なると、、<br />先に当てるとは、相手に何もさせない、ということか…。<br /><br />ここで次のような疑問が生じた。<br /><br />まず、相手に向かって直進するのみだったのか？<br />本当に毎回“先の先”をもって先に当てることができたのなら、それ自体、確かに名人芸だと思うが、何らかの技の理はあるはずだ。<br />相手も臨戦態勢なら、相手が先に動く場合だってあるだろうし、すでに構えていれば前述の理屈のようにはいかないだろう。<br />それでも崩拳を用いようと思ったら、状況に応じて敵の攻撃軌道を交わす、または逸らす必要があるので、相手との直線上の進退だけでは無理があると思えるのだが、そこをどう消化すればいいのか。。<br /><br />また、僕が最初に習った崩拳は、肘をくの字に曲げて脇を締め、現代空手と同じ中段（鳩尾の高さ）だったのだが、このかたちを用いるとリーチが活かせず、相手と40～50cm程度の距離から出し始め、さらに幾らか前に進んで突き込むことになる。<br />そこに至るまでの距離をどうやって埋めればいいのか。。<br />またその距離は、頭突きや低い蹴りなどにも注意しなければならない。<br /><br />当時考えた解決法としては、直線上の進退に拘らず、斜めの歩法も使うことだった。<br />このときに“先”の理合いを交えて考えた。<br />（※2008/08/22『<a href="http://doyotaichi.seesaa.net/article/105159305.html" target="_blank">３つの“先”</a>』参照）<br />…とは言え、郭雲深のように必ず先に当ててぶっ倒すなんて、僕にとっては夢のまた夢だった。<br />今だって、当時よりはもう少し考えを進めて、こうじゃないかというのはあるけれど、はっきりしたことはやっぱりわからない。<br /><br />それに郭雲深は、肩幅が身長ほどもあったと言われている。<br />サイコロコロスケじゃあるまいし幾らなんでもそんな人間は居ないと思うが、相当肩幅が広くて鍛えられた体だったということなのだろう。<br />そんな人間の突きを喰らったら、そりゃただでは済まないだろう。。<br /><br />しかし当時はそんなことも知らないし、崩拳については、どんなかたちがいいのかということを、フォームにこだわって追求しようとしていた。<br />どんな突き方をすれば、より威力が出るのか、と…。<br /><br />あるときたまたま他派の演武で、腕を伸ばし気味に、ウチより少し高い位置の崩拳を出しているのを見た。<br />それでピンときたのだけど、遠くに放るように腕を伸ばして、肩や腰を入れるようにしたらどうか、と考えていた時期もあった。<br />僕が習った崩拳は、肘を曲げ、筋繊維を絞るように関節を固定して、体ごと当てに行くような突き方なのだけど、これはとても窮屈なかたちになる。<br />肘を曲げる角度は距離によって使い分ければいいと思うけど、基本的に型通りの崩拳は、そのまま使うのではなくて、型の修練上、そういうかたちを取ることに意味があるのではないかと考えた。<br />そしてフルコン空手やボクシングを見ている内、形意拳もあんな風に自然に使えばいいじゃないかと思うようになった。<br />例えば、中段の高さを狙うときは、陽拳（掌の側が上向き）のまま突いたっていいんじゃないかとか。。<br /><br />実際、一度、喧嘩になりかけた相手の腹を、そんな感じで軽く突いてやったら、ダダッと軽く後ずさりして、すぐ前に出てこようとしたのだが、後から効いたらしく、少し前屈みになって戦意喪失したことがあった。<br />状況を説明するとこうだ。<br />僕が商売を失敗して、一時、交通誘導の警備員をやっていた頃のこと。<br />警備員って、聞こえはいいかも知れないけど、実際にはバカが多い。<br />そのときも、道路工事で車線規制をしていて、片側一車線しか通れなくなっているところを２人組で交互に通していたのだが、相手の誘導灯を使った合図がわかりにくくて、何度か注意をした。<br />お互いにアルバイトだが、僕の方が年齢もずっと上だし経験も上だったので、やんわりと諭したつもりだったが、さすがに何度か重なって、車がかち合って、イラッときてしまった。<br />「何度もこうしてくれと言ってるやろ。何でしてくれんのや！」<br />と文句を言うと、喧嘩腰に口答えして前に出てきたので、そのとき前述のように腹に一発、反射的に入れてしまった。<br />陽拳だが、ナイフで刺すような動作だ。<br />軽く入れただけだが意外に効いたようで、相手は驚いたのか、腹を押さえたあと、すぐにヘラッとした表情になって、<br />「ま、まぁまぁ。そう怒らんと。すんません、オレが悪かったです」<br />と言ってきて、それ以上の喧嘩にはならなかった。<br /><br />崩拳の型は、空手で言えば横受け（中段受け）＆中段突きと言えるだろう。<br />動きをそれに変化させていくと、フルコンやボクシングでよく見かけるようなかたちになっていく。<br />その関連性を踏まえて形意拳なりの使い方を考えていくのも面白いと思う。<br />少なくとも僕は、そんな風に考えてみたことで、最初の道筋ができた。<br /><br />◆王樹金老師のめずらしい動画<br />（初心者に五行拳指導。次に太極拳十四勢。次に五行拳＋初伝的用法説明）<br /><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/6NWxbDSpgG0&hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/6NWxbDSpgG0&hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object><br /><br /><a href="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/img/bujutsuchina80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 中国武術へ" /></a>　<a href="http://fight.blogmura.com/bujutsu/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsu/img/bujutsu80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 武術・武道へ" /></a><br /><a name="more"></a>

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<title>不動禅少林寺の人</title>
<description>前項に関連して、他武術の人と交流した話をもう一つ。今度は逆に、僕が思い知らされ、反省の材料となった話だ。拳法を習うようになって３年目、前項の頃より数ヶ月後くらいだったか。。ある朝、家の近くの公園で練習をしていて、少林寺拳法をやっているという人に声をかけられた。その頃は形意拳の連環拳と剣の型を教わったばかり。形意拳は高級拳法のように言われていたから、早くも五行拳や十二形拳の先に進めたことが嬉しくて、朝、人気の無いうちにそれらの型を練習しに行ったりしていた。当時住んでいたのは北大...</description>
<dc:subject>徒然エッセイ</dc:subject>
<dc:creator>hide</dc:creator>
<dc:date>2009-03-02T09:53:23+09:00</dc:date>
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前項に関連して、他武術の人と交流した話をもう一つ。<br />今度は逆に、僕が思い知らされ、反省の材料となった話だ。<br /><br />拳法を習うようになって３年目、前項の頃より数ヶ月後くらいだったか。。<br />ある朝、家の近くの公園で練習をしていて、少林寺拳法をやっているという人に声をかけられた。<br />その頃は形意拳の連環拳と剣の型を教わったばかり。<br />形意拳は高級拳法のように言われていたから、早くも五行拳や十二形拳の先に進めたことが嬉しくて、朝、人気の無いうちにそれらの型を練習しに行ったりしていた。<br />当時住んでいたのは北大阪方面にある新興住宅地で、近くに広大な公園があり、人気が無い時間は物騒なためか早朝から散歩に来る人はあまりいなかった。<br />だがその日はめずらしく男性１人が通りかかった。<br />男性は30代後半くらいで、近くに来て立ち止まると、眼光鋭く、じーっとこちらを見ていた。<br />僕の練習を観察している。<br />僕は僕で、何かやっている人（武術経験者）だと、すぐにピンと来た。<br /><br />余談ながら、今では中国武術練習用のアルミ製の剣や木剣などは簡単に手に入るが、この頃にはどこで売ってるのかもわからず、練習にはもっぱら素振り用の木刀を使っていた。<br />少し太めで約900gくらいの重さだ。<br />柳生心眼流の太刀の型を少しだけ習っていたので、その練習用を兼ねていた。<br />そんな習慣のためか、未だに中国武術用のものは持っていない。<br />というか、中国武術の剣や刀は、改めてやってみたい気もするけど、日本の剣術の方がずっと好きだ。<br />機会があればそっちをやりたい。<br /><br />…で、男性は、僕が素振り用の木刀を持って剣道でもない奇妙な型を演武していたので、気になったのだろう。<br />また、僕がまだ拙い技量だったので、からかってやろうとでも思ったのかも知れない。<br />しばらくすると、声をかけてきた。<br />「きみのやってる、それは何や？」<br />挨拶もなくちょっとつっけんどんな言い方に内心むっとしたが、相手は年齢もずっと上だし、何かをやっている人だということも察していたし、いずれにせよ僕より先輩だから、ひとまず素直に答えることにした。<br />「中国拳法の練習をしてるんです」<br />「ほう。初めて見たワ。面白い動きやな」<br />「そちらも何かやってらっしゃるんですか？」<br />「オレは少林寺拳法や」<br />（げっ！）<br />よりによって嫌なのに捕まった…と思った。。<br /><br />ここでまた余談になるが。。<br />少林寺拳法が日本の武道であること、また、２つあることをご存知だろうか？<br />少林寺拳法と言えば、一般には四国に本部がある故・宗道臣氏を開祖とする“金剛禅”だ。<br />もう一つは、名称をめぐって金剛禅と訴訟になった“不動禅”。<br />この係争の詳細は、興味ある人はネット検索で調べていただくとして、要は、金剛禅が不動禅を訴えて却下されたものの、和解して、不動禅が「少林寺流拳法」と「流」を付けることで落ち着いたそうだ。<br />この２つの少林寺拳法が日本の武道であることは、今では、少なくともこの世界では、少林寺拳法修行者を含めて、ほぼ周知の事実となっている。<br />もちろん、中国の嵩山少林寺に由来する少林派の拳法、総称して“少林拳”と呼ばれるものとは異なるし、空手の流派“少林寺流”とも関係がない。<br />両者の技術的な違いはよく知らないが、人づてには、<br />「どちらも一緒。突き技が違う程度」<br />と聞いていた。<br />実際のところは今も知らない。<br />ちなみに、ネット上の情報によると、不動禅は代表の霊雲臥龍氏が亡くなってから、不動禅もそのまま残っているが、幾つかに枝分かれして別の名称を名乗ったり、フルコンタクト空手の流派になったりしたそうだ。<br />また、金剛禅から枝分かれして空手の流派を名乗るようになったところもあるそうで、何だかややこしい。。<br /><br />実は子どもの頃から、僕はあまり少林寺拳法が好きでは無かった。<br />それは上記とは関係なく、単純に、同じ学校の同級生で前に書いたことのある“Ｋ野”が少林寺拳法の道場に通っていたからだった。<br />（※『<a href="http://doyotaichi.seesaa.net/article/40573202.html" target="_blank">小男の強さ</a>』参照）<br />後に前述のようなことを知ると、何だか胡散臭く思えてしまって、なおさら敬遠するようになった…。<br /><br />それで、、<br /><br />冒頭の男性が少林寺拳法を名乗ったとき、ちょっとひいてしまったわけだ。<br />だけど、同時に好奇心も頭をもたげた。<br />「少林寺拳法も、中国から来てるんですよね？」<br />前述のような知識はこのときすでにあったが、どう答えるのかに興味があった。<br />「そうや。ただ、オレんとこのは不動禅と言うんや」<br />「そうなんですか」<br />「オレんとこのはホンマの少林寺拳法でな、もう一つの少林寺とは全然違う！」<br />「………」<br />僕は内心、<br />（どっちも中国の少林寺と関係ないじゃないか…）<br />と思ったが、角が立たないように黙っていた。<br />男性はこのあと饒舌になって、よく憶えてはいないが、流派の自慢めいたことを幾つか言って、それから、<br />「突きはどうやるんだ？」<br />「拳の握りは？」<br />「関節技や投げはあるのか？」<br />「他の型を見せてくれ」<br />…等々、根ほり葉ほり聞いてきた。<br />僕が、普通に拳を握って、金鷹拳の突きの格好をして見せると、<br />「あれ？さっきは縦拳やったやろ？」<br />「ああ、それは形意拳という拳法です」<br />型は、最初は断ったが、あまりしつこく言われたので、確か金鷹拳の基本の型と、太極拳の十四勢をやって見せた（…と思う）。<br />「で、それはどう使うん？ゆっくり突くから教えてくれ」<br />僕は断ったが、<br />「何でもいいから。ちょっとでいいから…！」<br />としつこい。<br />「じゃあ、うまくできませんけど、カタチだけ…」<br />と、起勢から上歩打セイまでの、最初に教わる用法を説明した。<br />「それ、使えると思う？」<br />…ちょっと返答に困る。痛いところだ。<br />「まぁ、実際に今の説明の通りに使うのは難しいと僕も思いますよ。ただこれは型の最初の用法説明ですので、他に使い方や意味があるそうです」<br />「ふーん。じゃあ逆手とか関節技は？」<br />「日本の古武術を少し教わっています。でも僕はまだ大したことありませんから」<br />太極拳の型の中にも関節技への応用はあるけど、説明するのが面倒だ。<br />すると、<br />「手ほどきくらいはできるだろう？」<br />と、僕の手を取りに来た。<br />僕は、男性の態度が気にくわなくて技を見せるのが嫌だったが、とりあえずこの手を解こうとした。<br />…が、男性の力が強くて、なかなか外せなかった。<br />すると、僕の技量がわかったからか、<br />「良かったら少し教えてやるよ」<br />と、拳の握り方や手の解き方などを説明し始めた。<br />逆手のかけ方や角度なども教えてくれた。<br />最初は有り難迷惑な思いもあったが、男性は正直、上手い。驚いた。。<br />くやしい思いもあったが、腕前が違い過ぎる。<br />それに関節技をかけるときのスムーズな動き、またかけられた痛みからも、この人が偉そうな口を叩くだけの実力があることがよくわかった。<br />「真剣を振ったことあるか？」<br />「いえ、無いです」<br />「ついでに刀の握り方も教えてやるよ」<br />と、僕の木刀を持って、奇妙な握り方をして見せた。<br />「変わってるやろ。でもこれがホンマの握り方や。こうせんと人は斬れん」<br />（…って人斬ったことあるんかい！）<br />と思いつつも、興味深い。<br />それは、肘や手首の関節を絞って固定するような握り方だった。<br />窮屈な感じだが、そう握れば刃がぶれないという理屈らしい。<br />いいか悪いかは判断がつかなかったが、なかなか新鮮に思えた。<br /><br />「きみは何故、中国拳法をやっているんや？」<br /><br />…僕は、上達すれば短い距離からでも打てるとか、理論が高度だとか、ほとんど本からの受け売りのようなことを挙げた。<br />その人は一笑に付して、こう言った。<br /><br />「人間そんなに器用に動けるもんやないぞ。ナンボ理屈が高度でもやれることはたかが知れてる。それに強いヤツはどんな武道のどんな流派にでも居るもんや。つまらん流派にでも強いヤツは居るぞ！」<br /><br />僕は正直、まさにその“つまらん流派”と勝手に思っていたところの人に、軽くあしらわれた上、そう言われて、ガツンと頭を打たれた気持ちだった。<br />実際、技のかけ方も上手かったし、力も強かった。<br />「こんな人に、今やってることを何年かやれば勝てるようになるんだろうか？」<br />…と考えたとき、この時点でまだ何も出来やしないのに、そのうち出来るようになる、他の武道や格闘技を圧倒できるようになる、という甘い幻想を抱いている自分に気づかされた。<br /><br />いつの間にか時間を忘れ、１時間くらい話していた。<br />僕が素直に教えを乞う姿勢を見せたので、機嫌良く色々教えてくれ、良かったら習いに来ないかと名刺をくれた。<br />あまり記憶に自信が無いが、その人は五段か六段で、組織の中で多少偉い立場のようなことを言っていた。<br />ウチの道場のことも聞かれ、僕はそのまま正直に答えた。<br />しかし内心、その人が訪ねてきて、<br />（もし先生と手合わせをするようなことになって、先生が負けたらどうしよう）<br />と心配になった。<br />Ｔ先生が僕らよりずっと上手いのは確かでも、実力はよくわからなかったし、何せまだ若い。<br />相手はベテランの師範だ。<br />…しかし、結局その人が来ることは無かった。<br />また、その後は同じ公園に練習に行っても、その人と会うことは無かった。<br /><br />正直今も、少林寺拳法は好きではない。<br />金剛禅も不動禅もなく、技術的にもよく知らず、食わず嫌いな感じだ。<br />けれど、考えるきっかけの一つを与えてもらったという点で、この男性との出会いは有意義で印象的な出来事の一つだった。。<br /><br /><a href="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/img/bujutsuchina80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 中国武術へ" /></a>　<a href="http://fight.blogmura.com/bujutsu/" target="_blank"><img 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<item rdf:about="http://doyotaichi.seesaa.net/article/114963973.html">
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<title>電波系な人たち</title>
<description>今の武術を始めて２年を過ぎた頃、古武術をやっているという青年に出会った。当時、僕が20～21歳で、彼は僕の1～2歳下だったと思う。何せずいぶん前で、友人の知り合いということで２～３回会った程度なのでよく憶えていないのだが、記憶の中にある彼のイメージは、藤子不二雄Ａの『魔太郎がくる』。。(^^;いきなり変な漫画のキャラに例えて悪いのだけど、まー正直、およそ武道やスポーツとは縁遠そうな、大人しいタイプの子だった。。そのマタローくんと、何故か武術の話になって、夜の公園で実技を交えな...</description>
<dc:subject>徒然エッセイ</dc:subject>
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今の武術を始めて２年を過ぎた頃、古武術をやっているという青年に出会った。<br />当時、僕が20～21歳で、彼は僕の1～2歳下だったと思う。<br />何せずいぶん前で、友人の知り合いということで２～３回会った程度なのでよく憶えていないのだが、記憶の中にある彼のイメージは、藤子不二雄Ａの『魔太郎がくる』。。(^^;<br />いきなり変な漫画のキャラに例えて悪いのだけど、まー正直、およそ武道やスポーツとは縁遠そうな、大人しいタイプの子だった。。<br />そのマタローくんと、何故か武術の話になって、夜の公園で実技を交えながら話をしたことがあった。<br /><br />僕は、今でもそうだが、好奇心旺盛で、例えあまり期待していなくても、とりあえず話を聞いてみたいと思う方だ。<br />この世界、自分が学んでいる武術や流派への愛着などから、先入観や固定観念で他者への否定的な見方が先立ち、ちょっと自分がやっていることと違えば聞く耳さえ持たない人も多い。<br />しかし僕はそれより、違えばこそ、聞いた方がいいと思うのだ。<br />やっていることが自分と近い人の言だけ受け容れて頷き合っているより、知らないことがあれば知ってみたいではないか。<br />聞いてみることで何か１つでも得られればラッキーだ。<br />自分の中での取捨選択は自由だし、それは聞いてみた後でも構わないだろう。<br /><br />…とまーそんなワケで、、<br />マタローくんは１年程度のキャリアのようだったが、僕は興味を持った。<br />僕だってまだ浅かったし。。<br /><br />彼がやっているのは、“骨法”に似た武術とのことだった。<br />ただそれが、当時、プロレスラーなどが取り入れて有名になっていた堀辺正史氏の“骨法”だったかどうかはわからない。<br />記憶では「骨」が付く何文字かの名称だった気がする。<br />それを彼が、<br />「骨法に近い」<br />と説明していたように思う。<br />また同時に、自分の流派が、漫画『男大空』（原作：雁屋哲／作画：池上遼一）に登場した“神骨拳法”のモデルになったなんて話もしていた。<br />そういう話は堀辺正史氏の骨法にもあったので、もしかしたら骨法だったのかも…。<br />でもこの頃、関西にも骨法の道場あったかな…？<br />どうも記憶に自信がない。<br /><br />ちなみに。<br />堀辺正史氏の骨法については、当時の僕は本屋で立ち読みしたことがある程度だったので、あまり詳しくは知らない。<br />当時はよく見もせずに少林寺拳法に似ていると思う程度の認識で、あまり好きになれなかった。<br />調べてみると、堀辺氏は大東流合気柔術の故・佐川幸義氏の弟子であったそうで、合気道関連の著書を何冊か出している吉丸慶雪氏とも兄弟弟子で、一緒に流派を立ち上げたこともあったらしい。<br />ついでに言えば、その吉丸慶雪氏は、佐藤金兵衛先生に師事していたこともあったようだ。<br /><br />で、マタローくん。。<br />自分の流派にかなり傾倒していて、手前味噌に自画自賛。<br />ただ残念なことに、キャリアが浅くて、あまりカタチにもなっていなかった。<br />手ほどきや逆手のかけ方など基本的な技を幾つか説明して見せてくれたが、柔術をあまり練習していなかったその頃でも、僕の方がまだマシだったろう。。<br />しかし彼は上機嫌で、<br />「これは無闇に人に見せるなって師匠に言われてるんだけど…まぁhideさんにはちょっとだけみせてあげるよ」<br />と言って、一つの型を見せてくれた。<br />中国武術で言うところの套路のようなものではなく、形意拳の五行拳や十二形拳のように、一手を型にした感じのもので、実際、動作的には形意拳にも似ていた。<br /><br />記憶の限りで再現すると、こんなだ。<br /><br />両腕を胸の前でクロスさせて、上から横に大きく回し、両拳を腰に構える。<br />そこから、大きく一歩踏み出しながら、右拳は陰（掌の側が下向き）で、その右手首を左手で上から掴み、支えるようにして三角形を作り、一気に突き出す。<br />拳は握ったまま、小指側の部位で当てる感じだ。<br />足は順歩だったと思うが、大きく出るため、当然、後ろ足が後から付いて来るかたちになり、形意拳の跟歩のような歩法になる。<br />しいて言えば形意拳のタイ形に似ている。<br />（※タイ形の「タイ」の字は「鳥台」と１文字で書く）<br /><br />…ただ。。<br />やはり体の使い方がぎこちなく、へっぴり腰で、ちょっと滑稽だった。<br />マタローくんは、<br />「今のが神骨拳法の元になった技の一つなんですよ」<br />と言って、得意そうに笑った。<br />（う～ん。何だかなぁ…）<br />とは思ったが、まぁ、個人的な力量はさておいて、何か教えてもらって、それはそれで参考になればという思いもある。<br />お礼に僕は、太極拳の十四勢、心眼流の１本目、金鷹拳の型を２つほど見せた（…と思う）。<br />すると彼は、<br />「特別にもう一つ、使いでのある技を教えてあげますよ」<br />と対抗するような目つき。<br />指示されて僕が構えて対峙すると、半身でボクシングのように構えたところから前方の手を伸ばし、開掌のまま僕の目の前でゆらゆらさせ始めた。<br />何をするのかと思っていたら、突然、<br />バタバタッ！<br />…と、急激にバタつかせて、その手をそのまま拳にして突き出して来た。<br />僕はするに委せていたので、彼は拳を寸止めして、また得意そうに笑った。<br />「驚いたでしょ？」<br />要するに目くらましの一種。<br />相撲の猫騙しと同じと言えなくもない。<br />こういうのは子供の頃の喧嘩で使うヤツも居たし、僕的には経験があり、意外ではない範疇だ。<br />また、古武術では、相手の視界をさえぎったりして技をかけることを、<br />「霞をかける」<br />と言うそうだが、中国武術にもそういった使い方はあるし、金鷹拳の受けもその意味を含んでいる。<br />手のひらバタバタは面白いが、そう得意そうにするほどか…？<br />しかしマタローくんは止まらない。<br />「実はコレ、僕の師匠の得意技の一つで、師匠が暴力団Ｙ組の組長に手ほどきを頼まれたことがあって、そのときこの技を教えたんですよ」<br />と、得意満面。<br />「へー、すごいね！」<br />そのあと僕は、軽くイラッときて、まー友好的に、お礼のつもりもあってだけど、何かちょっと痛いようなことを彼にした気がする。<br />何をしたのかよく憶えていないが、まぁ、逆手をかけたか、寸勁だと嘘をついて触れたところから突いたか…だと思うけれど。。(^^;(笑)<br /><br />マタローくんのことは、その後も笑い話のように人に何度か語った。<br />でもまぁ、彼だって当時はまだ10代だ。<br />後に色々考えが改まったかも知れないし、続けていれば腕前が上がっているかも知れない。<br /><br />マタローくんとはそれだけだけど、その後も似たような人とは何度か出会った。<br />北新地時代に、新地仲間が連れてきたヤツは、自分をマスコミ関係者だと偽って頭の悪い女を騙しまくっていたが、何故か妙に僕になついてきて、中国武術をやっていると嘘をついていた。<br />このときもついつい好奇心から話を聞いたり動きを見せてもらったりしたのだが、結果は嘘まるだし。<br />何の格闘技経験も無さそうだったので、それを見透かしてわざと、<br />「組手やろう！」<br />と言ったら泣きそうになっていた。<br />まーこいつの場合は武術修行者ではなかったのだけど、こういうヤツの温床となっている部分があるのもこの世界。。(^_^;)<br /><br />まぁ…実際にどこかで習ってマジメに励んでいる人はいいけれど、それでも、知識や想像が先行している人は確実に多い。<br /><br />とにかく、何と言うか、この世界、、結構、アレな人が多い。。<br />自分が大したこともない内から、誰も知らない特別なことを習っていると信じ、そういう思いだけで優越感を持っていたりする。<br />そして、“気”や“勁”の概念や、理論的な優位を語って、自分も名人への道を歩んでいる気になっている。<br />現実的な物の見方から乖離して、今の自分の力量が見えていない。<br /><br />…と、そう言いながら僕も、本からの知識や先生からの受け売りそのままに、他派や他武道・格闘技を軽んじていた時期はある。<br />でも反省や自己修正を繰り返しながら歩んできた。<br /><br />少しでも思い当たる人は、<br />時には立ち止まってよく考えてみた方がいいだろう。<br /><br /><a href="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsuchina/img/bujutsuchina80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 中国武術へ" /></a>　<a href="http://fight.blogmura.com/bujutsu/" target="_blank"><img src="http://fight.blogmura.com/bujutsu/img/bujutsu80_15.gif" width="80" height="15" border="0" alt="にほんブログ村 格闘技ブログ 武術・武道へ" /></a><br /><a name="more"></a>

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